chocoxinaのover140

ハンドルは「ちょこざいな」と読ませている

創作ロールプレイングポエム:「あのひと」のご紹介

ロールプレイングポエムについては、こちらを参照して下さい
chocoxinaの理解では、ロールプレイングポエムとは「ルールにポエジーのあるごっこ遊び」なんじゃねえかなと思っています。

ロールプレイングポエム:「あのひと」

1.イントロダクション

学校の同窓会で十数年ぶり集まった仲のよい5人前後のプレイヤー達。
思い出話をするうち、話題は今日来なかった「あのひと」のことに移る。

2.導入

まず君たちは「あのひと」の名前を思い出そうとするが、どういうわけか皆思い出せない。
プレイヤーは、名前を思い出す手がかりに、各自思い思いに「あのひと」の性別や外見、口癖などの表面的な特徴を共有する。
ひととおり共有が済んだと判断されたとき、 プレイヤーの誰かが「誰も思い出せないの?」と言って、
「あのひと」と特に仲が良かったプレイヤーを適当に一人指定してからかう。
指摘されたプレイヤーが「そうなんだけど・・・」と言って考え込むと、
テーブルに料理が運ばれてくるなどして話が中断される。

2.準備

プレイヤーは、当時の「あのひと」との具体的なエピソードを、メモ用紙一枚につき一つ、3枚分書く。
(枚数は人数に応じて適当に調整する。またこのとき、メモの端にあなたの名前を書いておく)

「あのひと」は、君に借りた一万円を未だに返していないようなずぼらだっただろうか。
毎日のように君とお決まりの場所で遊んでいただろうか。
君が未だに覚えているような、面白いジョークを言っただろうか。
君たちの間で起きた大きな事件のとき、その中心にいただろうか。
家庭の事情について、君にだけ話してくれたことがあったろうか。
あるいは、君と恋仲で、クリスマスには特別な場所でデートをしただろうか。
もしくは、君は「あのひと」に手ひどいいじめを受けていたか、その逆だったろうか。

書くときの指標として、まず君との関係に関わる大きなエピソードを一つか二つ書いたら、
ゲーム外で君とそのような関係だった人物との些細な思い出で残りを埋めるといいだろう。

ストーリーテリングに自信のないプレイヤーがいる場合、ゲーム導入時にそのプレイヤーを
「あのひと」と特に仲が良かった友人として指定しておくと良い。指定されたプレイヤーは、
仲の良かった友人のことを思い出してメモ用紙を埋めよう。

全員が書き終わったら、各自「あのひと」の名前と思われるもの
(モデルにした誰かの名前や、単にあだ名でもよい)を それぞれ胸に秘めたあと、
すべてのメモを裏向きで一箇所に集める。よく混ぜた後で、その中から各自一枚引く。
このとき、自分の書いたメモを引いてしまったら裏向きで山に戻して新たに引く。
(以後メモを引くときは常に同様にする)


3.プレイ

「あのひと」と仲が良かったとされたプレイヤーは、手元にあるメモを書いたひとに、名前を思い出すよう話を振る。
メモの内容を聞いた話のように読み上げて「こんなことがあったなら名前も思い出せるだろう」と指摘してもいいし、
メモの中身によっては 適当に内容をぼかして、書いたプレイヤーに詳しい話をさせてもよい。
その後メモを公開して全員から見える場所に置き、
裏向きのメモの山から新たに一枚引く。
話を振られたプレイヤーは、必要に応じてその話題について補足したあと、それでも名前は思い出せないと言って、手元のメモについて同様の手順を行う。

ただし、手元のメモを処理する手番が回ってきたプレイヤーは、以下の場合に限り、
振られた話の補足を行った後で、手元のメモを公表せずに握りつぶす。
それに気づいたプレイヤーはその人に「どうかした?」と聞き、聞かれたプレイヤーは「何でもない」と言ってから
別のプレイヤー(後述の理由でメモを持っていないプレイヤーを除く)に適当に話を振る。

a.そこまでの話の流れから、メモを公表するのがはばかられたとき
 皆が「あのひと」のユーモラスさについて盛り上がっているときに、
 わざわざ「あのひと」に虐められていたプレイヤーに話を振るべきではない。

b.そのエピソードを、「あのひと」の一面として認められない、または認めたくないとき
 君と恋仲だったはずの「あのひと」が、別のプレイヤーを熱心に口説いていたことなど自慢させる必要はないし、
 憎むべき「あのひと」が子犬を助けたエピソードなど誰にも聞かせる必要はない。


手番におけるあなたの行動を簡潔にまとめると以下の通りである。

1.前手番のプレイヤーがあなたの書いたエピソードに言及していたなら、必要に応じてその補足をする。その後、それでも「あのひと」の名前は思い出せないと言う。

2-1.あなたの持っているメモを公表するなら、それを会話の流れで読み上げるなどする。
2-2.メモを公表しないなら、それを握りつぶす。

3.メモを読んだならそれを書いたプレイヤーに、メモを握り潰したなら適当なプレイヤーに話を振って、手番を渡す。握り潰していないメモは公開し、メモを新たに一枚引く。


以上の手順を繰り返すうち、山からメモがなくなった場合、または山の中に自分のメモしかないことが明らかになった場合は
それ以上メモを引かず、話を振られたら「私はもういいでしょう」と言って、 メモを持つプレイヤーに話を振るようにする。


4.終了

すべてのメモが公開されるか握りつぶされたとき、すべてのプレイヤーは公開されたメモを参照して
「あのひと」がどんなだったか自由に語り合う。
公開されたメモの内訳に応じて、ゲームは以下のとおり終了する。
ゲーム終了後、握りつぶされたメモは厳重に処分する。

・公開されたメモの一番少ないプレイヤーが一人に定まるとき
 「あのひと」についての話が盛り上がってきたところで、そのプレイヤーは全員の話を遮り
 「誰も本当の『あのひと』を知らないんだね」と言う。
 そのプレイヤーが胸に秘めた名前が「あのひと」の本当の名前である。

・すべてのメモが公開されているとき
 「あのひと」と一番仲の良かった友人に設定されていたプレイヤーが「思い出した!」と言う。
 そのプレイヤーはきっと、名前をあえて内緒にして皆の反応を楽しむだろう。

・公開されたメモの一番少ないプレイヤーが複数人いるとき
 その複数人で席を外し、読まれなかったエピソードについて語り合う。
 「あのひと」の名前は結局思い出せないが、仮に席を外した全員が、
 一番「あのひと」と関わりがあったのが誰かについてはっきりと同意できるなら、
 きっとそのプレイヤーが思い出している。

・公開されたメモの一番少ないプレイヤーの数が、全体の過半数に及ぶとき
 誰かが指揮をとって、全員で「あのひと」の名前と思われるものを一斉に言う。
 こんなにも意見の食い違う「あのひと」は、本当に存在したのだろうか?

ギガヘボコンに出てきた話

 
このところ不運続きだ。
 
カバンは盗まれるしiPhone6は壊すし女の子には振られるし友人との約束は二連続ですっぽかされるし予定していた引っ越しは先方都合で三カ月遅れて最終的に反故になるしでまるでいいことがない。
 
こんなに不幸が続くなら、もう幸も不幸も何もわからない阿呆になりたい、と思っていたら、ちょうど知る限りトップクラスに阿呆なイベントが参加者を募集していたので出場してきた。ヘボが集まってロボット相撲をするイベントだ。
 
ヘボコンとは
題にあるギガヘボコン、昨年秋ごろから何度か開催されている「ヘボコン」の仲間なのだが、そのヘボコンとは何か、というのは僕が説明するよりもこの動画を見てもらった方が早い。


技術力の低い人 限定ロボコン(通称:ヘボコン) 紹介動画 【第18回文化庁メディア芸術祭 エンタ ...

要は「技術力の低い人限定ロボコン」であり「その場ではヘボさこそが正義」であり「妥協と諦め」がモノをいい「ヘボを誇り、それを容認する空気が満ちている」あたたかなイベントである。僕のような無能にとってはさながら東京砂漠に見つけたオアシスだ。
 
かねてからぜひ出たいと思っていたヘボコン、twitterで開催告知を見つけ、先着順だったそれに一も二もなく申し込んだのが三月末ごろ。ほどなく当選を知らせるメールが来て、chocoxinaのロボット作りが始まった。
 
よしやるぞ、やるからには勝つぞ、阿呆になることに打ち込んで嫌なことを忘れるぞ。結論から言えばこの二つの目標はどちらも達せられなかった。
 
敗者のゲーム
さて、勝つぞ、と目標をかかげてはみたが、一体何をどうしたものか。今回のヘボコンはギガヘボコン。[http://portal.nifty.com/kiji/150322193037_1.htm:title] 全長100cm、高さ50cmの大型ロボット(開催直前の主催石川さんの言葉を借りれば「大味な塊」)を作る必要がある上、なんとパイロット搭乗可だ。
 
パイロットが乗らないより乗った方が馬力があるに決まっているがchocoxinaにはそのための丈夫さやトルクのあるものを買う財力はない。なんたって先日財布もろとも鞄を盗まれている。
・・・いきなり嫌なことを思い出したが、ともかくもこういうときは先人の知恵を借りる必要がある。今回はチャールズ氏を仰ごう。
 
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個人投資家に最も読まれている指南書の著者であるところのチャールズ・エリス氏によれば、例えばテニスの試合は二種類に分けられるという。プロが互いの技術で「勝ちとった」ポイントで勝負が決まる「勝者のゲーム」と、アマチュアがミスを犯して「失った」ポイントで勝負が決まる「敗者のゲーム」だ。(なおこのへんの話はほぼ全部ライフハッカーの記事「敗者のゲーム」を避ける知恵:賢く立ち回ろうとするより愚かな行いを避けるべし | ライフハッカー[日本版]の受け売りです)
 
勝者のゲームと敗者のゲームでは取るべき戦略が決定的に異なるといい、またヘボコンは言うまでもなく敗者のゲームだ。チャールズ氏によれば、敗者のゲームに勝つには、どんな戦略よりも「ミスを少なくすること」を重視すべきだという。
 
なるほど、ミスを少なくする。ここでchocoxinaはほぼ勝利を確信した。
 
そうだ、人が乗るロボットだって勝手に自壊したり、コントロールを失って場外に出るかもしれない。堅実に動くロボットを作れば勝機があるぞ。
 
成果物
そんなわけで、完成したロボットをご覧いただきたい。
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 ・・・なんだろう。「堅実に動く」かどうかもあやしい、チャールズ氏に訴えられそうな大味な塊ができてしまった。
 
とりあえず、この画像を見ながら各所の工夫(したんですよ、工夫)とか妥協とかについて説明させてください。
 
まず動力はワイルドミニ四駆を二台並べている。これは一般的なミニ四駆と違いオフロードカー的なものをモチーフにしたラインで、同じ規格のモーターを使っている一般的なミニ四駆と比べスピードがかなり遅い。
 
スピードが遅いということはその分の力がトルク(動きの力強さ)にまわっているということであり、事実ワイルドミニ四駆は単体で40度の坂を登ったりできるそうだ。そもそもスピードが遅ければ暴発して勝手に場外に出ることも少ないため、ヘボコンに使うなら普通のミニ四駆より断然こちらが適格だといえる。
 
また、動力にミニ四駆を使う場合、通常であれば左右への旋回は諦めなければならないが、その点については(画像ではわかりにくいものの)それぞれのミニ四駆の辺りに手綱をつけることで解決した。曲がりたい方の手綱を引っ張って強引に旋回させる仕組みだ。ありもしない技術で無理にステアリングを実装するよりよほどチャールズ的だといえよう。あときっとチャールズはこんな言い訳のために本を書いたのではないと思う。
 
そもそも動力とステアリングについては、どこかでラジコンを買ってきてそのまま使うつもりだったのだが、某ディスカウントストアで買ったラジコンがどうにも不良品で、10秒も動かすと集積回路が熱をもってコントロールを受け付けなくなってしまう代物だったので泣く泣く捨てた経緯がある。
 
いや、本当に不良品だったのだ。電源から並列で出てた電飾の回路を手でちぎるまでは普通に動いてたけど。
 
100歩譲って不良品でなかったにしても、壊したのではなく壊れたのだ。あの夜、ガードレールに座って弄っていたら自転車に跳ね飛ばされた僕のiPhoneとおなじ、不幸な事故だったのだ。・・・なんだか、不幸を忘れる為に参加したヘボコンに、その不幸を思い出させられ続けている気がする。
 
設定にこだわる
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別アングル。

 
本体にあたる丸い部分はバランスボールでできている。レギュレーションを満たして順当に動くロボットを作るだけならば動力に段ボールでも被せておけばいいものを、なぜ余計に1000円出してバランスボールなど買ったかといえば、ひとえに設定のためである。
 
さすがに、観客もニコ生の視聴者もいるイベントで「相手のミスを待って勝ちます」ではあまりにも寒すぎる。そこで「攻撃ではなく防御にこだわった」と言い張ることで、設定だけはやたらと凝りがちなヘボコンらしさを出そうとしたのだ。
 
設定にこだわるという意味では、前面に貼ってあるアルミホイルは「鏡面仕上げで相手のレーザー攻撃を跳ね返す」という設定、頭についている消臭スプレーは「細菌兵器を打ち消す」という設定を設け、防御へのこだわりを強調するために付けてある。あまりにも露骨にウケ狙いっぽくなってしまったので(ウケ狙いなんだけど)本番で説明するときにひやひやしました。
 
こんな感じで一通り組み立てていたのだが、最後にバランスボールを動力部(金網にミニ四駆を縛り付けたもの)に乗せる段階になって「バランスボールを土台から微妙にはみ出させておけば、相手の攻撃を受けてたわんだ時にブレーキになり、より防御力が増すのでは?」と考えて、そのような改造を加えた。おざなりに考えた設定に本人がまんまと飲まれている。
 
そんな感じでどうにか前日夜にロボットを作り上げ、いよいよ本番となります。
 
後ろの棒? あれはサイズ稼ぎ。
 
名前
ところで、このロボットの名前をまだ紹介していなかった。「機能美」という。「機能の美しさ」と書いて「機能美」だ。皆さんの仰りたいことはよぉく分かるが、これについても言い訳させてほしい。
 
先のロボット、勝利にこだわるあまり(あれでもこだわっている)、見た目やそのコンセプトにまったく気を回していなかったので、事前アンケートでロボット名を書く必要が出てきたときに「見た目にこだわっていないということは、必要な機能がむき出しになっている→これは機能美に満ちていると言えるのでは?」という発想で咄嗟に付けたのだ。
 
しかし、考えてみてほしい。そんじょそこらのロボコンとは違い、ヘボコンに求められているのは「ヘボさ」である。余計な装飾で誤魔化すことなく(リセッシュは飾りではなく機能!)ヘボが全面に押し出されたあのロボットは、ヘボコン的機能美を追求しているといえないだろうか?
 
chocoxinaはそう言えると考えた(自分を騙した)ので、完成したロボットに機能美を象徴するマークを付けた。
 
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機能美といえば林檎のマークだ。なぜかはわからないが。
 
当日
そして本番である。
 
会場全体の様子や個々のおもしろロボットについては、近くデイリーポータルZに掲載されるであろう公式レポート記事を待つとして、ここではchocoxina視点での記録に留めたい。
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「どうもー参加者登録してたchocoxinaと申します」「チョコザイナ!? ヤバイっすね!」「あ、はぁい」みたいなやりとりを経て会場入りし、自前の「機能美」を組み立てていると、どうも周りには友人同士やサークルでの和気あいあいとした参加が目立つ。身一つ(と大味な塊)で参加していた自分は心細さに身構えてしまった。
そういえば、最近友人にも女性にもそっぽを向かれたばかりだなあ・・・といらぬことを思い出し、前が見えなくなりながらも組み立てを終える。
ひと段落ついたところで辺りを見回してみると
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なんだろうこのゴミの山は。
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(そして当てつけのように近くに設けられた技術力の高いロボットたちのブースは)
 
ちなみに一枚目の写真、手前の何かが入ってそうな段ボールとか、奥にある誰かの洗濯物とか、画面内にあるものほぼ全てロボットである。
まずいぞ、僕の機能美が完全にインパクト負けして埋もれてしまう。僕だって少しはフィーチャーされたいのだ。
と、ここで焦ったchocoxinaが三時間しか寝てない頭を働かせて回避策を考えた結果、ロボット紹介や試合前などの喋れるタイミングで露骨にウケを取りにいくという失策を取るわけだが、その醜態については各自ニコ生のタイムシフト(プレミアム会員なら今からでも視聴できるみたいです)や、近くデイリーポータルZのレポートに合わせてアップされるであろう公式動画などをご覧いただきたい。

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端的にこうなりました

 
試合の様子
気を取り直して一回戦。相手は「白いのスーパーレジェーラ」

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 某ベイがマックスなあいつ的な見た目と、操縦者の肺に依存する空気圧パンチ機構を備えたロボットである。ビームも撃ってこないし細菌兵器も使ってこない。試合の行方はあの空気圧パンチをいかに吸収できるかにかかっている。(そしてchocoxinaは完全に設定に飲まれている)
 
試合はじめ!

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機能美が動かない!

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危ない!

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でも押し返して・・・

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勝った!!!
 
なんと普通に相撲で勝ってしまった。
相手を押し返したときの「おおー!」という歓声が普通に嬉しかったです。
 
第2試合
続いての相手は「ねこ」

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人が乗ってるでかい箱である。
完全に馬力で負けているが、相手は視界が狭く、うまく操縦すれば後ろから押してしまえるかも知れないし、何よりも猫なのでリセッシュに弱いはずだ。勝機はあるぞ。
 
試合はじめ!

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機能美が動かない!

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動かない!

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食らえ、リセッシュ!

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時間切れ、判定負け!
 
全く動けずに負けてしまった。
 
反省
敗因は、動力のワイルドミニ四駆が、前に出すぎたバランスボールの摩擦につんのめってしまったことだった。前日夜に「防御力アップ!」とか言って余計な改造を加えたのが完全に裏目に出た。設定に飲まれ、チャールズ・エリス氏の教えを蔑ろにしたために、敗者のゲームを演じてしまったのだ。
 
「そのくらい動作テストをしていなかったのか」というお声があるのも尤もだ。ただ僕は現在、引っ越しに失敗した影響で祖父母の家に転がり込んでいる。家主の寝静まった深夜、こんなわけのわからない塊を動かして大きな音を立てるわけに行かなかったのだ。
引っ越しのとき、予定までに部屋を明け渡さなかった大家や、僕の焦りにつけ込んで契約直前におかしな費用をふっかけてきた不動産屋、どちらか片方でもいなければ・・・
 
と、気を取り直して、勝利した第1試合に目を向けてみると、序盤全く動かなかった機体が、敵機の腕によってバランスボールを押し上げられた結果動き出していたのに気づいた。ヘボが生んだ逆転劇だったのである。
戦績は二回戦敗退、審査員賞も得られず、他の様々なロボットの影に埋もれてしまった「機能美」だが、あの小さな一勝は確かに僕の胸に刻まれた。
 
気は晴れた
本来は嫌なことを忘れる為に参加した筈のギガヘボコン、途中様々なフラッシュバックが生じてその目的は果たせなかったが、本気で馬鹿をやった結果多少気が晴れた。次があればもっと本気で阿呆になってみたい。
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さよなら、ゴミ達。
 

ボードゲームソムリエの本当の失敗と、人狼のあやうい魅力の話

 

ttp://t.co/T0JsbMtjtC
こんなエントリが話題ですね。
人狼そのものはもとより人狼プレイヤーにまで等しく牙をむく大変刺激的な内容で、twitterでの反応を見るに当該ブログ史上例のないアクセスを記録しているものと予想されます。

記事に対する反応は気になる人に検索して頂くとして、おおきな傾向としては
人狼の問題そのものについては共感できる
人狼が嫌いだからといってプレイヤーまで悪く言うのはどうか
こんなところでしょうか。

chocoxinaとしてはそれぞれの観点について書きたいことが沢山できちゃったのでまとめておきます。


chocoxinaのポジション

こういうのって中身を書いてれば自然と主張できるたぐいのものの筈で、それをわざわざ「一部は支持する、残りは支持しない、みたいなスタンスを理解してくれない二元論がお好きな方々」に備えるためだけに章を用意するのも癪なんですが、それはともかくこのエントリでは

前フリ
人狼はルールに無視できない問題を抱えている
・しばしば問題になる「迷惑な人狼プレイヤー」についても、ある程度は人狼そのものの問題に還元できる(上記エントリの「人狼が好きな奴なんてこんな奴だ」なんていう主張を、ごく限られた文脈でのみ認めることにもなる)

主題
・とはいえ、仮にもボードゲームソムリエを名乗る人間が、先に示したようなエントリを書くことについて断固として支持しない
人狼の問題は、ファンが感じる人狼の魅力と表裏一体であり、やり方如何で十分楽しいゲームになりうる

みたいなことを主張していきます


人狼というゲームが抱える問題

chocoxinaは人狼について「無視できない問題を多く抱えた、優れているとは言い難いゲーム」であると考えています。
人狼のここが嫌だなって話 - Togetterまとめ)こんなまとめなんかをはじめ、各所でよく言われることとしては
・10人かそれ以上のプレイヤーと、ゲームに参加できないGMを必要とし、プレイの物理的障壁が高い。
・初期に脱落するプレイヤーがどうしても発生し、十分に楽しめないことがある。
・特に「寡黙釣り」としてセオリー化されているように、ゲームに不慣れなプレイヤーは早々にゲームから除外されやすい。
・上記寡黙吊りなどのセオリーが発達しており、初心者がゲームについていきにくい
・そのせいで初心者がセオリーに通じたプレイヤーに指示されるまま動くだけのゲーム体験になったり、残人数の塩梅で重要な決断を迫られたり、それによって勝敗が決した責任を強く感じさせられることがある。
・そういうことを極端にやらかすプレイヤーに遭遇しがちである。
こんなところかと思います(人狼ファンの方はこれら一つ一つについて思うところがおありかと思いますが、もう少しお付き合い下さい)。
こうして並べてみると、上から下へ見ていくにつれ「システムの問題」から「プレイヤーの問題」になっていく風に感じられるかと思うのですが、ここでchocoxinaとしては「上記のうちプレイヤーの問題とされることについても、人狼というゲームのルールによって引き起こされている」と主張するわけです。


初心者と上級者

人狼は、初心者と上級者が一緒にやるのに必ずしも向かないゲームだ」ということについては、プレイ経験のある方にならおおむね納得していただけるかと思います。
ほぼ全てのアナログゲームがデザイン段階から前提としているやり方に従い、皆がその場の勝利のためにプレイをする限りにおいて、村人は積極的に情報を開示しない初心者を早めに吊り、人狼は多少の詭弁になびいてくれるかもしれないプレイヤーを大事に取っておくことが「正解」であることは否定のしようがなく、場がそのどちらかに強く傾けば、初心者がなにもできず初夜で釣られたり、逆に勝敗の(大抵の場合負けの)責任を一手に負わされたりするのは無理からぬことです。

そんな不幸な卓が発生してしまった場合、どこに問題があったかといえば「上級者のいる卓に入ってきた初心者・その初心者を呼び込んだ上級者」だともいえるわけですが、これももとはといえば「人狼が十余人ものプレイヤーを集めなければいけないゲームである」ために起こる問題とも言えます。
初心者のみ、上級者のみを十人以上集めることの難しさは想像に難くなく、人数の都合でやむなく練度に開きのあるメンバーを参加させてしまう人狼ファンを責めることはできません。


難しさと簡単さ

先に挙げたような不幸な卓が発生するもうひとつの理由として「セオリーの蓄積、共有が大切なゲームである」というのもあります。
これについては「プレイヤーの問題かルールの問題か」という視点から少し離れて(もとよりどちらの問題とも言えるかと思います)、「人狼の一つの問題はセオリーが発達したことでも、そのセオリーが難しいことでもなく、セオリーが実は簡単であること」なんじゃないかという、ツカミ重視かつ本エントリ中で最も脆い話をします。

例えば、人狼の一つの戦略として「ローラー」と呼ばれるものがあります。
人狼ファンの皆さんには改めて説明することでもなく、また筆者の練度の問題で誤りのある記述になっている可能性が怖いのですが、要は
「ゲーム中人狼は自分が村人であると信頼させる必要があり、そのために多くの場合『特殊な力を持った村人』を騙るので、村人としては自分がそういう村人だと主張する人を全て処刑してしまうことで、本物もろとも確実に狼を処刑する」
というような戦略です。

で、この戦略、もちろんいかなる時でも行えばいいというものでもなく、そういう作業の最中に村人が敗北条件を満たさぬように気をつける必要があります。
具体的には、今の村の総人数と、村に残っていると思われる狼の人数を考えて、昼に村人か狼のどちらか一人、夜に村人一人がいなくなると考えて、最悪の場合に村人の数が狼の数と一緒にならないように計算しなければなりません。

こう書くと(特に人狼に不慣れな人には)難しく聞こえるわけですが、実はそのためにやることといえば、たかだか二桁の引き算を数パターンくらいのものなのです。
こういった「とっつきにくいけれど、分かってしまえばなんてことのない」セオリーが多いために「村n人で狼mとすればローラー効くから・・・」みたいなハイコンテクストなやりとりが発生するといえます。

これが例えばもう少し複雑な計算を要するセオリーであれば、検算を募ったり、パターンを数えてもらったりするために考えていることを逐一報告する必要が生じ、結果そのセオリーに明るくない人にも大筋が共有され、ともすれば口を挟む余地さえ増えるために、少なくとも現状よりは置いてけぼりにならずに済むと考えられるわけです。


そして、この難しさと簡単さという話のもう一つの尺度として、上で前提としていた「考える量が多いか少ないか」の他に「正解が一意に定まるか否か」という話があります。ありますというか、むしろこちらがこの主張の本分なのですが。

先に挙げたローラーは「今残っている人狼を何人と見積もるか」が大事になってくるために、正解が一意に定まらない(=難しい)と言えるのですが、とはいえ「どう見積もってもローラーが成功する」というケースもかなりあり、そういうときは無論ローラーするのが大正解ですから、正解が一意に定まる(=簡単な)問題だともいえます。

で、そういう「簡単な」問題が解かれるとどうなるか。村人は当然ローラーを推し、人狼はどんな詭弁をこねてでもローラーを阻止し、そして初心者は「十分な説明を受けていない(何故なら上級者には簡単だから!)セオリー」と「もっともらしく聞こえる詭弁」の板挟みになり、そこでしばしば重要な判断を誤り、指差す方向のわずかな違いで自陣営を負かし、時には心ない仲間から「当然の選択を誤った」と謗られるわけです。最初に挙げたエントリで言及されているケースとよく似ていますね。

仮にここで、解かれた問題が簡単でなければ。つまり、ケースaの場合は行動Aを、ケースbの場合は行動Bを取れば良いが、今がabどちらのケースかはたかだか確率的にしかわからない、とか、行動Cはハイリスクハイリターンだが行動Dはローリスクローリターン、のような結論だったとすれば。初心者が強い主張同士の板挟みになることも、選択の結果を咎められることもなかったでしょう。


問題のあるプレイヤー

と、本筋から若干離れた上にいちばんあやうい主張を終えたところで、見出しの通り問題のあるプレイヤーの話を。
私は幸運にして、そういったプレイヤーと遭遇したことはたかだか一二度程度(あまりやらないのにその位は遭遇しているとも言う)なのですが、世の中には
・声の小さいプレイヤーに自分のやり方を強制する
・判断を誤ったプレイヤーを謗る
などなどあまりご一緒したくないプレイヤーが結構いるようで。
人狼ファンの皆さんとしては「こういうプレイヤーに会ったから人狼嫌い!」なんて意見を見かけた日には「いやいやそれは人狼じゃなくてプレイヤーの問題だよ」と言いたくなる、もしくは言っちゃうこともあるかと思うのですが、これもまた「そういう行いをルールが抑制していない」ことが原因の一つと言えるのではないかという話です。

迷惑なプレイヤーと関係のある人狼のルール要素といえば「チーム戦である」ことが最も大きいでしょうか。
簡単に言えば、人狼がチーム戦であるために、チームメイトは迷惑なプレイヤーの「道義的な問題がありつつもゲーム的に正しい」行いを咎めにくいわけです。

アナログゲーム中にプレイヤー間で行われる会話は、大きく「フレーバートーク」「議論」「交渉」の三つに分けられ(るよね?)(異論のある方もここは本筋でないのでひとまず目を瞑って頂くとして)、人狼はその中でも「議論」のゲームと言えます。
例えばある村で「喋らない素人を吊れ」とか「素人は大人しくプレイヤーBを指名しろ」とかいう【主張】がなされた場合、それに応じる言葉として求められるのは【反論】です。
しかし、もとより「ゲーム的に圧倒的に正しい」主張をしている、あるいは先述の「簡単な問題」を解いたプレイヤーに、そう簡単に反論できるでしょうか? 我々に求められるのは初心者のゲーム体験を向上させつつ、迷惑なプレイヤーの主張と少なくとも同等に陣営のためになる提案です。そんな解決が叶わず「初心者にはちょっと泣いてもらって、波風立てずになんならゲームにも勝つ」選択をしてしまう人を私は責められません。

例えば人狼が個人戦であったなら、あるいは議論でなく交渉のゲームなら、どんな正論であれひとの心象を損ねるのは文句なく悪手であり「ルールがプレイヤーを抑制している」といえます。ただ人狼はそうではなく、道義的に大間違いでゲーム的に大正解なやり方が存在してしまうわけです。
無論これは人狼に限った問題ではなく、例えばパンデミックという、プレイヤーが協力してゲームシステムと勝負するゲームにおいても、手練れのプレイヤーが全てのプレイヤーの行動を強制する、いわゆる奉行問題なんかがしばしば生じるといいます。
とはいえ「他のゲームもそうだから問題ではない」かといえばそうではなく、それこそパンデミックで手札の情報共有をほぼ無制限に許しながら手札を非公開としているのは、奉行問題を問題と認め、対処しようとしたからだと言えるでしょう(デザイナーさん本人もインタビューでそんな話をしてた気がするんだけど、どこだったかな・・・)。
また人狼については、先に述べた「簡単な問題の問題」などもあいまって、より顕在化しているとも言えるかと思います。


と、ここまでの長くも刺々しい前フリを経て、ようやく主題です。


ボードゲームソムリエはいかに失敗したか

翻ってくだんのエントリです。
chocoxinaの立ち位置としては「人狼の欠点については認めつつも、プレイヤーまで非難する姿勢については断固指示しない」といったところで、特に目新しさはないです。

人狼が好きな奴は自分が楽しむことしか考えてない」的な主張についても「議論と連帯責任のゲーム」を好むこととある種攻撃的な形質との好相性について認める面はありつつも、表面的にでもコンテクストを共有させることで人狼のキモを体験させる初心者卓の提案(人狼初心者村を立てたときのことについて - 雲上四季)や株式会社人狼にみられる心構え(人狼ゲームをやってるときに、殺伐とした空気にする奴は絶対にモテない。 | しらさかブログ)などを前にして、人狼ファンをひとくくりに語ることを到底容認できません。

あんまり向こうのカウンタ回すのも気分が良くないので記憶を頼りの要約に留めますが、かのボードゲームソムリエが人狼を嫌いになった理由として語られていたケースは
「最終版残り三人、村人の筆者と客観的に確実に狼である男、初心者の村人女性、という状況で、正論を述べる筆者と詭弁を述べる男の二者択一を迫られた女性が、最後に判断を誤って泣いてしまう」というようなものだったでしょうか。これ、私が改めて言うことでもないんですが、ソムリエの落ち度も到底無視できないんですよね。

これから主張する結論の前フリとして擁護するなら、このときのボードゲームソムリエも「人狼のルールに呑まれた被害者」と言えなくもないんですよ。
自分は間違いなく正しい、先に述べたところの「簡単な問題」を解いてる、という意識が、明らかに間違った、女性をだまくらかして勝利を掠め取るための詭弁を前にして「感動を与えるエンターテイナー」を直情的にさせ、結果として女性を泣かせてしまう。人狼が議論と連帯責任のゲームであるが故の悲劇とも言えます。
ただし、この悲劇は、ボードゲームソムリエが人狼のこういった問題を認識していれば回避できたと言えます。ここで例えば、あのケースでボードゲームソムリエが直情的になってしまうことを無理からぬ心のはたらきだと擁護しても、少なくとも当人は「自分の責任」だと認識しなければならなかった。彼が理性ある大人であれば。

具体的には、語気を弱めるだけでよかったのです。しつこくも、どうやらエントリの書き口からして事件の前段階でなかなか苛立っていたらしいことを加味し、あの状況で語気を弱めることの困難さを最大限認めたとしても、本人には「語気を弱めるだけで解決できた問題」だと認識されなければならなかったと繰り返します。

それができなかった、また今後もできないと認めるのであれば、達するべき結論は「自分には人狼の魅力を伝えることができない」といったところであり「人狼は感動の奪い合いであり、プレイヤーは皆どうかしている」というものではない筈です。

また、もう少し自身を客観視できるのであれば、ゲームの後「感動を与えることを信条とする自分が、そこに気を回せなくなる位議論に熱中した」事実を取り上げ、かように心を動かす、ある種問題でありつつも魅力的な人狼の側面について気づくきっかけになったかも知れないわけで、chocoxinaとしては、ボードゲームソムリエ最大の失敗はここ(自分がゲームに心動かされた貴重な体験を活かせていないこと)だろうと思っています。


ボードゲームソムリエはどうするべきだったか、或いは欠点と背中合わせな人狼の魅力

先にも軽く触れたように、例えば人狼の「(議論の体を取るために)ともすれば人を泣かせるくらいに白熱してしまう」という欠点はそのまま「(現実では滅多にできない)白熱した議論を体験できる」という長所たりえるわけです。
それ以外にも大人数が必要? 大の大人が大人数であそぶ貴重な体験のきっかけになるじゃないですか。
脱落があるからつまらない? 死ぬこともりっぱな仕事であると理解できれば楽しくなるらしいですよ。私はまだその域に達していませんが。
セオリーが多くてとっつきにくいし、理解するとつまんなくなりそう? 少しの勉強で込み入った話にも仲間入りできるってことじゃないですか。それに、コンテクストを十分に理解したなら箱庭の人狼箱庭の人狼―werewolf syndrome― « 人狼フリークの集い「楽々亭」にようこそ!を遊べるオマケもついてきますよ。
ほんの少しの間違いで陣営負けの責任を負わされるのが怖い? 現実の同じシチュエーションよりずっと安全にスリルを味わえるじゃないですか。
迷惑なプレイヤーがいる? それはちょっと・・・

といった感じで、人狼は欠点だらけだと言いつつも、むしろそこが愛されているのであろうことを認めざるを得ないんですよね。
趣味ならまだしも、アナログゲームでゴハンを食べる気なら、苦手なゲームの楽しみ方も知っておくべきだったんじゃないのか、といったところで、このエントリ全部iPhoneで打ってて疲れちゃったので仕舞いにさせて頂きます。