【落ちのない話】つまんねえ奴になりたい
学生のころ、マイナージャンルの打ち込み音楽を作っていた。
マイナージャンルというのは当然狭い界隈なので、そこでは大なり小なりやっかみ、批評、非難、陰口その他もろもろが繰り広げられていたのだが、その中でもどうしても許せなかった言い回しがある。
「あのDJは兼業だからサウンドに面白みがない」「あのトラックメーカーは彼女ができてからつまらなくなった」というようなものだ。
幸か不幸か、自分がそういったたぐいの批判にさらされることはなかったが、それでも誰かがこんな風に言及されているのを聞くたびに歯噛みする気持ちだった。
彼らは、お前たちを面白がらせるために人生を生きているわけではない、と言ってやりたかった。
あるDJが仕事を持って、その結果プレイが少し凡庸になったなら、彼はきっとレアグルーヴを掘るよりも大切なことを見つけたのだ。
あるトラックメーカーに彼女ができて、その結果ロクに作品を作らなくなったなら、きっと彼はもう我々なんかにちやほやされる必要がなくなったのだ。
それだけのことを悪しざまに述べて、まるで彼らが幸せになったことで人間としての価値を落としたかのように責めるのは、聞いていて我慢ならなかったのだ。
繰り返しになるが、自分は幸か不幸か、そういった類の批判にさらされることはなかった。
それはchocoxinaというトラックメーカーがそもそも注目されていなかったおかげでもあるし、chocoxinaの身に明かな幸福が及ばなかったおかげでもある。
自分の学生時代は決して幸福に満ちたものではなかったが、だからといって作ったトラックに特別の魅力がこもってくれたためしは無かった。
自分は今でもごくたまに音楽を作るし、ちょっとした書き物(うんとよく言えば表現活動だ)を仕事にしているから、もし今自分に何らかの大きな幸せが転がり込んできたら、そういった表現物は今よりも更につまらないものになるだろう。
それでも、自分はつまらない人間になりたいと思う。
自分の身に起きた幸福を花に喩え、幸福をもたらしてくれた何かを太陽に喩えてはばからない詩人になりたい。
安物のギターを買って、てらいのないコード進行と耳慣れた言葉で人生のすばらしさを歌い上げる歌手になりたい。
仕事中、ある不運な人の半生について原稿を書いて、その筆の乗りようを職場の先輩に褒められながら、そんなことばかり考えている。
ラーメン屋の威勢と偏見
先日入ったラーメン屋がかなり威勢のよい店で、戸をくぐると結構な大音声で
「せいー!!!」
という挨拶が聴こえてきた。
せいー。
「いらっしゃいませ」を「せ」まで略した上に、元々ありもしなかった「い」の方を強調してすらいる、何とも豪快な挨拶だ。
ただそのときchocoxinaが何より驚いたのは、その豪快さを更に強調するかのような、発音の明朗さについてであった。
威勢のよさを重視するあまり発音が雑になる、というのは、ラーメン屋に限らずよくあることだろうと思う。
しかし、もともと「いらっしゃいませ」だったものを発音する都合上、大抵は「いらっしゃいま」にあたる部分の面影が残っているものだ。
chocoxinaが今まで遭遇してきた威勢のいい挨拶も、殆どが「しゃせーい!!!」くらいのものだったし、そこから更に略されることがあるとしても、せいぜい「ぃゃせーい!!!」あたりが関の山だろう。
しかしあの店は違った。
彼らはあまりにも明確に「せいー!!!」と発音していた。
「せ」の部分が音として発される前から口を"S"のかたちに構えていることがありありと分かるような、サ行の摩擦音をたっぷりと含んだ「せいー!!!」だった。
これはいいものを聞いたぞ、と思った。
ここまで潔く省略された「いらっしゃいませ」は聞いたことがなかった。
これは「いらっしゃいませ史」に残る発見かもしれない、と思いながらカウンターで「中盛りほうれん草増し油少なめ」の注文を終えると、ある張り紙が目についた。
せいー。
彼らは端から「いらっしゃいませ」などと言う気はなかったのである。
彼らはそのまま、我々に「せいー」と伝えるつもりで「せいー」と発音していたのだ。
何だよ「せいー」って。ふざけやがって。
ラーメンは美味しかったです。
【落ちのない話】豊かさ
今日コンビニで買い物をしたとき、レジで現金を全く持ち合わせていないことに気づき、慌ててsuicaで支払いをした。
レジで恥をかかずに済んだことに安堵しつつ黒烏龍茶を飲んでいると、ふと「自分は裕福になったなあ」と感じた。
断っておくと、chocoxinaは客観的に見て、まったく裕福なほうではない。
たとえば今の給与で結婚して子供を持つ、などということが到底考えられない程度の、典型的な安月給だ。
それでも、やはり自分は裕福になったと思うのだ。
数年前、chocoxinaは客観的に貧困といえる部類だった。
時給は最低賃金、1日の労働時間は過不足なく7時間。給与明細は見るも無残だった。
その状態で東京で一人暮らしをし、奨学金の返済までしていた。
冷蔵庫やガスコンロを買うだけのまとまった金は用意できなかった。電子レンジでパスタやもやしを蒸かして腹を膨らませ、数日に一度の外食を心身の栄養とした。
自分はこのまま年老いて死ぬのだ、と思い続けていた生活、それを好転させようと思えたのは、何がきっかけだったか。
ほとんど偶然のようなものだったと思う。
ある春の日の朗らかな気候に、新しい出向先の小ぎれいなオフィス、永遠のような待機命令と、ネットサーフィン中に見かけた広告、そういったものがたまたま積み重なったある日、転職というのを試してみよう、と思い立ったのだ。
そうして職を変えたり、社員として出戻ったり、また転職を試みたりした数年の間に、気づけば生活はかなり楽になった。
隙間風吹きすさぶ六畳風呂なしの部屋は、一軒家を区切ったシェアハウスになり、ついにはロフト付きのワンルームになった。
家には冷蔵庫はおろかテレビまでそろい、学生時代から使い続けたパソコンを買い替えることさえできた。
そうして今日、自分の財布にいくら入っているか、いっとき忘れるまでになったのだ。
聞く話では、人間は貧困に陥るとIQが下がるという。
明日を生き延びるために脳を使い続けるからだそうだ。
いまchocoxinaは、財布の金を1円単位で覚えていたあの時の自分よりも賢くなっているだろうか。
それはとても幸福なことのように思えた。