chocoxinaのover140

良く言えばコラム

「うなぎ文」は「android文」に改めるべき

日本語の変わった文型に「うなぎ文」というのがある。

「お昼何にする?」「俺、うなぎ。」というやつだ。

ここでいう「俺、うなぎ。」が"I am an eel"という意味でないことは日本人にとっては明らかだが、外国語話者にとってはわかりずらいし、文法的な説明も簡単ではない、というもので、日本語の特殊性や外国語との違いを説明するときによく引き合いに出される。

さて、この「うなぎ文」であるが、お堅い本などでは「俺うなぎ。」ではなく「俺はうなぎだ。」のかたちで引用される。
しかし、「俺はうなぎだ」というのは、ちょっとさすがに日本人にとっても違和感のある文ではなかろうか。

いわゆる「うなぎ文的なるもの」、つまり「俺は◯◯だ」と言いながら"I am ◯◯"の意味ではない例が日本語にたくさんあることは否定しないが、その代表例として「俺はうなぎだ」はちょっと不適切だという話がしたいのである。

ここでchocoxinaは「いわゆるうなぎ文」の例として「俺はうなぎだ」の代わりに「俺はandroidだ」を提唱したい。

念の為に具体的な用例を挙げると
「だれかiPhone持ってるやつ、充電器貸してくれ」
「残念、俺はandroidだ」
というものだ。

このandroid文にはさまざまなメリットがある。

まず第一に、android文は日本語としてうなぎ文よりも自然である。
「俺はうなぎだ」の『だ』は、うなぎ『を選ぶ・に決める』といった動詞を代替している(諸説あり)のに対し、「俺はandroidだ」の『だ』は、『持っている・使っている』というような語の代わりになっている。
『だ』の自然な用法に近い、存在や状態を表す言葉なので、より自然に置き換えが成立していることがわかるだろう。

第二に、この例は日常生活に頻出する。
「俺うなぎ」はともかく「俺はうなぎだ」「僕はうなぎです」と口に出したことのある人間はそう多くないだろうが「俺はandroidだ」「私はandroidです」ならば、一言一句その通りのことを言ったことのある人も多いはずだ。

そして第三に、これが最も大切なことなのだが、android文を使うことで、この文型について理解するメリットが顕在化するのだ。

「いわゆるうなぎ文」を理解できなくても「俺はうなぎだ」と言った男のことをうなぎだと思うことはないだろうが、近い将来、「俺はandroidだ」と言った人間のことを人造人間だと勘違いすることは十分にありうる。
また悲しいことに、人造人間が普及するような近未来に「うなぎ」がまだ存在しているかどうかは非常に疑わしいことであるから、例えばうなぎの絶滅に伴って「うなぎ文」という概念までもが何らかの古語のようなものだと思われてしまい、日本語学習者がこういった事例にあらかじめ触れておく機会がなくなる、ということさえ考えられる。

「うなぎ文」を「android文」に置き換えることでこうしたトラブルは減り、ひいては機械と人の相互理解を助けることにもつながるはずだ。

来たるべきシンギュラリティに備えるためにも「android文」が普及することを願ってやまない。

またそれはそれとして、そんな近未来でもうなぎがたくさん生きている地球であるといいですね。

僕からは以上となります。