自販機で買った金貨は、思わず粗末にしたくなる小ささ
一人暮らしを始めてしばらくしたころ、家に「梨」を買って帰った日のことをよく覚えている。
いつもは「スーパーの入り口でかごを拾い上げながら左手に構えるまでの一連の流れ」の中で通り過ぎてしまう果物売り場でふと足を停めたとき「そうか、果物を買ったっていいんだな」と天啓を受けたのだ。
その時買った梨は甘く瑞々しく、また人生に選択肢が増えた喜びも相まってひときわ美味く感じられたものだ。
さて、その手の気づきを久々に感じられたのが今年の秋頃のこと。
趣味で貨幣論について色々調べるなかで「金貨」のことを検索した折、検索結果に楽天へのリンクが並んでいるのを見て気づいたのだ。
「金貨って買えるんだな」
と。
フィクションや歴史上の存在だとばかり思っていた金貨だが、今でも投資対象として金を売るための「地金型金貨」というのが、毎年新たに発行され続けているとの事だった(他にもコレクターを対象にした「収集型金貨」というのもあるらしいが割愛)。
その後更に調べを進めたところ、東京には金貨を自販機で売る店があることや、大きさによっては我々プロレタリアートにも十分手の届く値段であることなどがわかった。いや、わかってしまった。
じゃあもう買えるじゃん、買おうかな、いざとなったら売れるんだし、というのが、本記事執筆に至る経緯である。
自販機で金貨を買う
金貨の自販機は、東京都は茅場町にある。 自販機とはいってもさすがに路上にポンと置かれているわけではなく、専門店の中に設置されている格好だ。
■左から、スパ用品店、弁当屋、貴金属店、コンビニ、というなんだかすごい並び
コンビニの隣「金銀の貯金箱」さんに入るとすぐ左手に件の自販機があり
おおむねタバコと同じ要領で金貨が並べられている。
これはぜったい普通の売り方ではないよな、とは思いつつも、考えてみれば筆者は、金貨というものが本来どのように売られるものなのかよく知らない。
ともかくもここに
札を入れて
ボタンを押すと
金貨の入った箱が出てくるわけだ。
ひととおりの手続きが終わると、自販機の下部からちゃりんちゃりんとお釣りの出る音がして、思わず乾いた笑いが出た。
今まで、金貨を買うぞ、といううやうやしい気持ちをどうにか保っていたのに、その音によって「完全にジュースと一緒じゃねえか」と緊張の糸が切られたようだった。
あはは。金貨買っちゃったぞ。
ところで、さきほど見た自販機の中に「ゴールドバー」という商品があったのだが…
■これ
考えてみればこれは「金の延べ棒」ではあるまいか。
この日もう少し財布に余裕があったなら、筆者は金貨のみならず金の延べ棒まで手にすることができたのだ。
金はすごい
さて、金貨をまじまじ眺めてみると、やはり美しい。
■後述する事情のため、かなり寄りの写真で失礼します
いかにもこれはいいものだぞという光沢をたたえており、またその科学的性質ゆえに今後数百年はその輝きを損なわないだろう。
ごく最近まで、多くの貨幣制度における裏付けとして利用されてきたのもうなずける話だ。
金地金の相場が今のところだいたい1gあたり5500円くらいなのに対し、この金貨がほぼ1万円。
金の塊を1gに分けて、キレイなカタチにして、これは確かに純度99.99%の金ですよと保証してこの謎のケースに入れるために、金そのものと同じくらいの値段がかかっているわけだ。
いいものを買ったな、と思う。
確かに思うのだが、どうもこいつ、それだけでは済まない気持ちを筆者にもたらすのである。
いいものではあるのだが
ここまで色々褒めてはみたが、実はこの金貨を買った当日のうちに、筆者は家の中でこれを紛失しかけている。
■そのときの様子
いきなり「成人男性の部屋の汚さのピーク」をお見せしてしまい恐縮だが、こうしてゴミやらなんやらの中に紛れてしまうと、さしもの金属光沢もその存在感を発揮することは難しい。
いかんせん小さすぎるのだ。
「金はグラム単価がめちゃめちゃ高い」「金は比重が重い」というそれぞれの事実は知識として知っていたが、「1万円の金貨は小指の爪くらいのサイズ」というのは正直想定しきれなかった。
なにせポケモン世代の筆者は「きんのたまは5000円」という強固なイメージをゲームフリーク社に植え付けられており、それゆえ1万円出せばもうすこし存在感のあるサイズのものが出てくるだろう、とどうしても期待してしまったのである。
■同じ1gでも、アルミニウム製の一円玉と比べるとその差は歴然
この金貨、取り出して縦に摘んだら「ぐにっ」と曲がりそうだし、そもそもこのケースがなければあっという間に無くしてしまいそうな感じだ。
■500円玉と一緒に並べてみると、もはやどちらがより価値のあるものなのかさっぱり分からない。
一応ケースに入っている分だけ無くしにくくなってはいるのだが、このケースは正直めちゃめちゃ高級感があるという感じでもなく、遠目には「レンタルビデオ屋の会員証」と大差ない。
またそもそも、自分がこれを自販機で買った、という事実が、どうしてもこう感慨の湧かなさというか、思い入れの入らなさに寄与している面もあるだろう。
金貨というのが本来どう買われるべきものなのかは分からないが、本当はもう少し勿体ぶった手続きを経て買われる物だったのではないか。そしたら、こちらにももう少し有り難みというか「大事にしよう」的な気持ちも湧いただろうというものである。
1gの金貨(しかも自販機で買ったやつ)というのは、美しくも粗末にしやすい、なかなかアンビバレントな存在だ。
むしろ積極的に粗末にしていく
自販機で買った金貨の「金貨だけどちゃちい」「小さいけど高級品」というアンビバレントについて、もうすこし深堀りしていこう。
■なんとなく、クタクタの下着と一緒に部屋干ししてみた
わー、金貨をパンツと一緒にしちゃってるよ、というヒヤヒヤする事実と、そこまで衝撃のない見た目とのギャップがすごい。
「金貨ってあの金貨だろ」「でも金貨って感じの金貨じゃないしな」という、語彙力ゼロの逡巡が脳内を満たす。
ちょっと不謹慎なことをしているのかもしれないし、或いは客観的にはなんの面白みもない写真かもしれない。読者の皆様には「どちらか」にしか見えないだろうか、あるいは、どちらとも断言できない落ち着かなさを筆者と共有して頂けるだろうか?
■トランプと一緒に輪ゴムで留められる金貨
ゲーム中にこの金貨が配られるよりも、エース2枚の方が嬉しい。
■「大掃除直前のガスレンジ」の上で、小さめのタッパーに入れられる金貨
このまま食器棚の奥に入れておいたらへそくりとして成立しそうである。
■デカビタの空き瓶感覚で自転車のカゴに入れられる金貨
自分の自転車がこうなっていたら、よく見ずに隣のカゴに金貨を捨ててしまうだろう(ゴミはゴミ箱に捨てましょう)。
■ローソンで買った金貨
見た目の高級感でいえば、1万円のiTunesカードといい勝負である。
■雨の団地に打ち捨てられる金貨
これまで金貨を見て「かわいそう」と思ったことありますか。
メリークリスマス・アンド・ア・ハッピーニューイヤー
なんだかんだ写真など撮っているうちに「買ったものをほとんど褒めていない」状態になってしまったが、「金貨を粗末にしたくなって、実際にする」というのはなかなかできることでもないし、その点ではまあ買ってよかったなと思う。
1万円出すだけの価値があるかは微妙なところだが、いざとなればそれなりの値段で売れるわけなので、そのあたりは深く考えないことにします。
それではみなさん良いお年を。
■金貨は財布に入れることにしました。金は縁起物、という説もあるそうです。
「ちょっとした無地の巾着」がどこにも売ってない
人生とはままならないものである。
夢は叶わないし恋は実らない、人と人とは分かり合えないし、探し物は見つからないのが常だ。
この前筆者がボードゲーム屋で中古品を見ていたところ、ゲームに必要な無地の巾着袋が一つ欠けている代わりに、かなり安くなった商品を見つけた。
巾着袋などどうとでもなるし相当にお得だ、と、購入した当時は思っていた。
まさかその「ちょっとした無地の巾着袋」が世の商店に全く見当たらないなどとは、つゆほども考えていなかったのだ。
これは「ちょっとした無地の巾着袋が欲しい」というささやかな夢を見た筆者の、あまりにも長く苦しい旅の記録である。
Day1.100円均一(ダイソー)
100円くらいで売っていそうなものを買うために100均に行く、というのは、ごく自然な選択だろう。
というよりも、筆者が最初にダイソーに寄った際は、まさかこのような戦いが始まろうとは思ってもみなかった。巾着くらい「当然あるもの」と認識していたのだ。
しかし、ダイソーに売られていた巾着といえば、あるものは版権キャラクター柄、あるものはおしゃれなロゴ入り、またあるものはデパートの買い物袋を思わせるビニール製、といった具合で「ちょっとした無地のもの」はとうとう見つけることができなかった。
■最も地味なものでさえこの通りロゴがついていて、あまつさえその意匠が、インドア趣味の極致たるボードゲームにあまりにも似つかわしくない
そういえば昨年ごろだったか、ダイソーの開発担当だという女性に密着したテレビ番組を見たことがある。
子会社が試作した無難な商品に対して「これでは到底、お客様に100円お出しいただくことはできません!」とぴしゃりと言い放ち、よりこだわったものを作らせる光景が印象的だった。
しかし、無難な商品を探しにダイソーに来て、その願いがかなえられなかった今の筆者にしてみれば「よくも余計なことをしてくれたな」という気持ちだ。
100均らしいものが100均から排除されたら、いったいどこを探せばいいのだろうか。
思えば、100均はいつからか「プチプラ雑貨店」とでも言うべき雰囲気を帯び、若年女性を意識した品ぞろえにシフトしだした感があった。
化粧品を売る棚が日ごとに増え、容器という容器にカフェの黒板を思わせる模様が印刷され、あらゆる顧客の毎日をちょっとステキにしようと油断なく構えている。
おかげで以前、薬品を携帯するためにクリームケースを買いに行ったら、どれもこれもラメの入った夢カワ仕様になっており、ちっともかわいくない男性たる筆者は仕方なく、無印良品で倍近い値段のものを買うことになった。
100円以上の価値を求めてダイソーに来る若年女性もいれば、ただ80円くらいで売れそうなもの(それゆえ100均以外のどこに売っているか想像もしにくいもの)を買うためにダイソーに来る壮年男性もいるのだ。ゆめゆめ忘れないでほしい。
Day2.100円均一(キャン★ドゥ)
この時はまだ「無地の巾着なんてものが、100均以外のどこに売っていようか」と考えていたので、別の100均ことキャン★ドゥに来た。
■むろんここも「巾着」といえばオシャレな柄モノが前提である
ダイソーに負けず劣らず「プチプラ雑貨店」的な100均となったキャン★ドゥではあるが、2件目となればこちらも対策を用意している。
巾着袋がただ巾着袋として売られている可能性は少ないのではないか、なにか特定のものを入れる「○○ケース」としてなら、理想に近いものが売られているのではないか、と考えたのだ。
しかしキャン★ドゥの品ぞろえは、イヤホンケースなら硬質、カバンの整理用なら透明、メガネケースならパカパカと開く特殊な口、と、どれ一つとして普通の袋がない。
■これは別の店(ドン・キホーテ)の写真だが、ちょっとイヤホンを入れておくだけの袋は生地が分厚く口金も特殊で、なかなかの値段がする
なんなんだお前たちは。創意工夫をするな。ただ無難でありさえすればいいのだ。
日本で「一億総活躍社会」などというお題目が唱えられ始めて久しいが、「100均の凝った袋」というのはそのあだ花ではないか。
なにかに特化しよう、活躍しよう、個性を発揮しよう、と考えるあまり、無難であることの価値が忘れられつつあるのではないか。
無難をこそ求める客、無難であればこそ輝く舞台というのがあるのだ。
ミープル(ボードゲームによく使われる人型の木製コマ)を入れる専用バッグを用意しないならば、せめて汎用的な巾着くらい用意しておいてほしい。
Day3.無印良品
もっとシンプルなものが欲しい、と考えたとき、人は無印良品へ行くよう運命づけられている。
記憶にあるかぎり、無地の巾着というのは往々にして生成りの綿のようなものでできており、まさに無印良品が得意とするところに思えた。
結論から言えば、無印良品には確かに「生成りの巾着」が存在した。
ただそれは
■2000円以上するエプロンの付属品
■500円のお菓子のおまけである上、妙なプリントのほどこされたもの
■無地ではあるが化学繊維製で、さらに「小さくたためる」という一生使わない付加価値のために結構な値段になっているもの
といった具合で、到底「ただ巾着が欲しい筆者」の欲求を満たすものではなかった。
なんなんだ本当に。
なぜそのエプロンを用意するついでに、巾着だけ売ることができないのか。
なぜたかがおまけにすぎない巾着に、余計な意匠を持たせるのか。
なぜいざ巾着を売ろうとなったときに「余計な一工夫」をほどこすのか。
俺はただ、適度な大きさで無地の巾着が欲しいだけなのだ。そう突飛な要求ではないだろう。
かつて「人並みの幸せ」と呼ばれたロールモデルが現代日本で夢物語となりつつあるように、「無地の巾着が欲しい」というのはもやは過ぎたる願いとなったのだろうか。
Day4.ホームセンター
そこへ行けばどんな夢も叶うと言われながら、だれでもその場所を知っている現代のガンダーラがホームセンターである。
しかしすがるような気持ちで「島忠」を訪れた筆者に対して、現実はあくまで非情であった。
ともすれば、このような感じで多様なサイズの巾着が並んでやいないかと期待したのだが……
ホームセンターの売り場は、鞄売り場なら鞄、ツールバッグ売り場ならツールバッグ、ビニール袋売り場ならビニール袋、という具合に整然としており、その中で筆者はとうとう「巾着がありそうな売り場」さえ見つけることができなかった。
思えば、巾着というのはあまりにも中途半端な存在である。
あらゆる用途の入れ物としてそれなりの役割をこなしながら、決して何かの専用にはなりえない。
筆者は巾着袋に、かつて通信簿で「器用貧乏」と評された自分自身を重ねた。
お前に居場所となる売り場がないならば、いわんや、俺には。
Day5.手芸用品店
ダイソーでおしゃれに装飾された巾着袋を見つけたとき、「お仕着せのかわいい雑貨を売るよりも、ユーザーにカスタマイズを任せるほうがいいのではないか」という思いがふと頭をよぎった。
かつて100均を使いこなしていた女性というのは、無難なグッズに自分の手でデコパージュをほどこしたり、スパンコールを縫い付けたり、そういった風に創意工夫してプチプラを楽しんでいたのではなかったか、と。そこにわざわざ店の方でかわいいグッズを用意して売ろうなどというのは、さながら金曜ロードショーが「バルス」を推奨するような無粋なのではないか、と。
そこまで考えたとき、手芸用品店ならば「デコレーションの下地としての無地の巾着」があるかもしれない、と直感したのだ。
その考えは、ある意味正解で、またある意味間違いだった。
このように「無地のトートバッグ」が何種類もある一方で、無地の巾着だけはついぞ見つけることができなかったのだ。
手芸用品店であまたの布や糸、あるいは紐をかきわけながら巾着を探していると、「巾着くらいの小物は自分で縫え」と言われているようで心苦しかった。
家庭科の成績が5だった筆者にとって、布と紐から巾着袋を作ることくらい造作もないことではあるが、袋が必要になるたび針と糸とをちくちくやる、というのは避けたいところである(ほとんどの独居成人男性の家がそうであるように、筆者の家にはミシンがない)。
5年6年と飽きもせずボードゲームを趣味とし、これまで3桁に及ぶゲームを買った身として、今後どれほどの袋を縫うことになるのか、考えるだに恐ろしかった。
Day6.雑貨店(フライングタイガー)
北欧のこじゃれた雑貨を売る店であるところの「フライングタイガーコペンハーゲン」。
言うまでもなく「ちょっとした無地の巾着」なんてものとは最も縁遠い店である。
■北欧では、全ての布がアッパーな意匠をまとって生まれてくる
ただ思うに、そもそも「雑貨」という言葉は本来「ちょっとした日用品」「小規模で分類しにくい産業」という意味だったはずだ。
それがいつの間にか「女性向け」の意味合いを帯びはじめ、こんにち雑貨屋といえば、当然かわいらしいグッズを売るものだと誰もが信じて疑わない。
そうなれば、まさに本来の意味で雑貨そのものであったところの「無地の巾着」を、我々はどこで買えばいいのだろうか。
筆者がこの店に来たとき、実は巾着を探しに来ていたわけではない。
もはやそれを買うことは諦め、どうにか楽に自作するべく、400円のハンディミシンを買いに来たのだ。
■ちなみにハンディミシンには入れ物として巾着袋がついているのだが、こちらも大概ゴキゲンなことになっている(画像出典:https://blog.jp.flyingtiger.com/ )
しかし今回の、筆者と巾着袋をめぐる戦いは、ここで思わぬ形の決着を迎えることになる。
トラベルグッズの棚に売られていた携帯スリッパ。
この外袋が、無地で大きさも適度な、これこそが探し求めていた「ちょっとした巾着袋」そのものだったのだ。
筆者は150円で携帯スリッパを買い、中身をタンスにしまい込んで外袋にミープルを入れた。
どうにか遊べる状態となったゲームを眺めて安堵しつつも、さながら窮屈に折りたたまれたスリッパがもとの形に戻ろうとするように、胸の中でどこか腑に落ちない感情が大きくなるのを感じていた。
ジャーニー・ゴーズ・オン
ここまでが、筆者がささやかな夢を叶えるために経ることとなった旅程である。
ひとまず目当ての巾着を買うことはできたものの、今後巾着が必要になるたび家にスリッパが増えるような事態はなるべく避けたいし、今後も「安定して無地の巾着を買う方法」を探し続ける所存だ。
この日本が、無地の巾着や、無地の巾着のような我々にとって居場所のある、あたたかな社会になることを願ってやまない。
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アメリカ人はベーコンにチョコを付けて食う(うまい)
噂には聞いていた。
アメリカでは、例えばフライドバターのような、日本人が想像もしなかったような料理が多くつくられること。
またアメリカではベーコンが2000年代から長らくブームになっており、ベーコングッズが作られ、またベーコンキャンプが開催されていること。
その中でさまざまな新作ベーコン料理が生まれ、ベーコンとソーセージをベーコンで包んだものやベーコン味のウォッカ、ベーコンをトッピングしたメープルシロップ味のドーナツなどが一定の支持を得ていること。
今回表題とした、ベーコンにチョコを付けたもの、すなわちチョコレートベーコンも、そういった料理の一つであるらしい。
数キロのベーコンを用意したり、酒税法にビクつきながらウォッカを扱ったりするような「フリーク向け」の料理にはちょっと手が出ないが、これなら日本のご家庭でも簡単に作れそうだ。
実際に作ってみたところ、これがことのほか美味しかったし、またチョコレートベーコンをより楽しめるバリエーションも発見したので共有させて頂きたい。
チョコレートベーコンの作り方
作り方、と仰々しく題してみたが、とくに変わった工程もなく、イメージから逸脱することはないだろう。
ベーコンを炒めてかりっとさせ、
その間にチョコレートを溶かしておく。
ベーコンの両面にチョコレートを塗り付けたら、皿に盛る際汚くならないよう冷やし固める。
触ってもベタつかないくらいになったら、品よく盛り付けて出来上がりだ。
――なんだろうなこれは。
■どんな色調にすれば「映える」のかわからないので、モノクロにしてみた
作り始めた当初は「世間ではゲテモノみたいに言われてるけど、例えば『雪の宿』みたいに甘じょっぱいお菓子だと思えば悪くないんじゃないの?」と考えていたのだが、実物を目の前にすると途端に自信がなくなってきた。
部屋中に暖かいチョコレートとベーコンの臭いが充満しているのに、それらが同じ皿から発せられていることを脳が認識できないのは、かなり奇妙な感じだ。
見た目もなんか、見ようによっては「ゾンビの表面の、何かが着いたのか皮が剥げたのかもわからないぐじゅぐじゅした所」みたいだし。
■なんとなくハイネケンを添えてはみたものの、これがおやつなのかツマミなのかも判然としない。
このような料理がまさか美味しいなどと、当時の自分は信じられなかったし、また読者の皆さんも同様だろうとは思うが、ここで改めて強調させて頂きたい。
チョコレートベーコンは美味いのだ。
チョコレートベーコンは美味い
口に入れてまず印象に残るのは、チョコレートの素直なコクと口当たりである。
その後チョコレートが体温で溶けるに従い、ベーコンの香りと塩気が驚くほど控えめに、しかし間違いなくベーコンのそれとわかる個性で顔を出してくる。
ベーコンは調理の過程でラードが抜けており、動物的な臭みはほとんどない。
本来あるべき油が抜けたカリカリのベーコンに、油分の塊ともいえるチョコレート(しかもその油は口当たりよく乳化している)がスッと入り込むようにして、両者はほどなく口の中で渾然一体となる。
結果、チョコレートベーコンは「あっさりとしてなめらかなベーコン」でありながら「甘味の引き立つ塩気と芳香を含んだチョコレート」ともいえる、驚くほど均整のとれた味わいを奏でるのだ。
■今後も肉片の画像が続くので「よく手入れされた公園」の画像を見て目を休めておいて下さい
この料理には意外にも、一口食べたときの強烈なインパクトのようなものは存在しない。
ただ、その味をどうにか言語化しようとしている間に、二つ、三つと口に放り込んでしまう魅力を備えている。
端的に言えば「癖になる」のだ。
甘しょっぱくて癖になる、といえば、日本人になじみ深いのは「ハッピーターン」であろう。
あれを「甘いのにしょっぱくて気持ちが悪い」などと評する人はそう多くないはずで、チョコレートとベーコンの調和はまさにハッピーターンと同様だといえる。
しかもチョコレートベーコンは、ハッピーターンよりも明らかに低糖質で高たんぱく。ダイエットにも最適である。
更なるバリエーションの探求
結局のところ、最初に作った5枚のチョコレートベーコンは、用意したハイネケンを半分も飲まないうちに全て食べきってしまった。
缶の底に残ったビールを舐めている間も「薄いベーコンを使っているから、チョコレートを塗るのは片面でよかったな」などと考える始末で、恥ずかしながらすっかりハマってしまったと言わざるを得ない。
本場アメリカでは、チョコレートベーコンにさらにナッツなどのトッピングをする例もあるらしく、そちらもぜひ試したいところだ。
そこで今回、この通り5種類のバリエーションを制作し、それぞれ食べ比べてみることにした。
初めてチョコレートベーコンを作った翌日のことである。
ミルクチョコ×アーモンド
まずは無難に、前例のあるレシピから試していきたい。
■ちなみにここから、チョコレートを塗るのは片面だけとし、冷やし固める工程を省いている
さて、この定番ともいえる「ミルクチョコ×アーモンド」であるが、食べてみるとチョコとアーモンドががっちり手を取った結果ベーコンの味わいが引っ込んでおり「なんか変わったナッツが入ったうまいチョコ」くらいの趣になってしまった。
これが「定番」なのだとすると、チョコレートベーコンは本国において、ツマミではなくおやつとして受容されているのかもしれない。
- おやつ度 ★★★★★
- ツマミ度 ★★☆☆☆
- 仕事中に食べたい度 ★★★★☆
ミルクチョコ×チーズ
とはいえ、個人的にはチョコレートベーコンの「ツマミ」としてのポテンシャルを高めていきたい。 そこで、冷蔵庫に眠っていたベビーチーズをのせてみることにした。
ベーコンとチーズの取り合わせなら間違いなくツマミに寄るだろうと考えたが、思えばチョコレートとチーズを合わせたケーキなんていうものもあるし、どちらに転んでもおかしくない。
実際食べてみると、すべてが違和感なく混じりあった結果、おやつともツマミともつかない中庸でもったりした何かになってしまった。
例えるなら、ヤンキーとオタクで仲良くしているのが面白いコンビだったのに、間に陽気な男が入ったらただのありがちな仲良しにしか見えなくなっちゃったみたいな。伝われ。
ただ味が悪いわけではないので、例えばこのままクラッカーに乗せたら、いい意味で印象に残らない気の利いたオードブルになりそうだ。ナビスコのルヴァンにチーズとガナッシュをこんもり乗せて、ベーコンの小片をナナメに突き立てておく感じで。
- おやつ度 ★★★☆☆
- ツマミ度 ★★★☆☆
- 沢口靖子にオススメ度 ★★★★★
ミルクチョコ×ブラックペッパー
ツマミとしてのチョコレートベーコンにすっかりハマっている自分としては、食べる前から勝利を確信していた取り合わせである。
■ここまで読んだ皆さんにはどう見えるだろうか?
どうあれ筆者にできるのは、やはりこれこそが正解だったと皆に伝えることだけである。胡椒とベーコンの相性は言うまでもなく、チョコレート側も辛いものとタッグした実績(柿の種、タバスコ等)には事欠かない。
どの二者を切り取っても面白い上に、三人寄れば更に強い。さながらお笑いでいうところのネプチューンである。
黒い小瓶の一振りが、チョコレートベーコンを完全なるツマミに引き寄せるのだ。皆も知り合いのアメリカ人に教えてやって欲しい。
- おやつ度 ★★★★☆
- ツマミ度 ★★★★★★
- 名倉潤さんの快復をお祈りしている度 ★★★★★
ミントチョコ
ベーコン料理としてはことのほかあっさりとしているチョコレートベーコンを、よりあっさりとさせるべく、清涼感のあるミントチョコを使用してみた。
しかし食べてみると、いかんせんミントの主張が強すぎる。寝る前に歯を磨いていたら、歯間からさっき食べたベーコンのカスが出てきた、みたいな味だ。
冷やして食べれば、食感が変わったり香りが落ち着いたりして多少改善するかもしれないが、これ以上試す気にもならない。
ミントチョコに一切の非はなく、責められるべきは筆者の愚かさのみである。
- おやつ度 ★☆☆☆☆
- ツマミ度 ☆☆☆☆☆
- 豚さんへの申し訳なさ ★★★★★
ミントチョコは普通に食べるに限る。
ホワイトチョコ
「チョコレートがベーコンの油を置き換える」という性質に注目し、より油分の強いホワイトチョコレートを使用してみた。
■これまでとだいぶテクスチャが違うし、なんならマヨネーズに見える
ミルクの味に動物性の香りが足されたら、バターのような趣が出たりしないかと期待もしたのだが、どうもそういう感じではない。「寒い国には、こういう甘いシチューもあるのかな?」くらいの、悪くはないが褒めるところも見当たらない味だ。
ベーコンチョコレートにおいて、ミルクチョコの苦味って大事だったんだなと気づかされる。また普通のチョコレートベーコンと比べると油分の口に残る感覚が強く、自分がこれまで食べてきたチョコレートベーコンの危険性を強く認識させられる。
- おやつ度 ★★★☆☆
- ツマミ度 ★★☆☆☆
- 翌朝の顔のテカり ★★★★☆
■二日連続でチョコレートベーコンを食べたことにより、翌朝どころかその場で顔がテカテカになった筆者
チョコレートベーコンは美味い(2回目)
以上が、名作ベーコン料理ことチョコレートベーコンの紹介と、新たなバリエーション探求の記録である。
より大きく厚いベーコンでの制作や、イギリス式の作り方(チョコレートをベーコンで包んで焼く)など、まだまだ試したいことは多いのだが、ひとまずここまでで、皆さんにこの料理の魅力が伝わったなら幸いである。
少なくとも筆者はこれから、スーパーで4連に束ねられたハーフベーコンをすべてチョコレートベーコンとして消費するつもりだし、皆もぜひ、できれば今夜の晩酌から試してみてほしい。
合わせる飲み物は、ビール、バーボン、あるいはコーラなんかもいいだろう。