あなたの街にもたぶんある「違法荷札」のふしぎ
まずはこちらの画像をご覧いただきたい。
なんの変哲もない、路上の落書きである。
繁華街の薄暗い通りに大量に貼られ、景観を悪化させているおなじみのアレだ。
さて続いては、こちらの画像を見てみよう。
さきほどの画像と同じような落書きだが、なにか奇妙な数字が書かれている。
4桁区切り、都合12桁の数字が書かれたこのサイズの紙、というと、なにか察するところのある人もいるかもしれない。
続けてこちらの画像を見ていただければ、その気づきは確信に変わるだろう。
そう、ここまで紹介した画像はすべて(1枚目も含めて)宅急便の荷札が使われた落書きシールである。
実は、路上に貼られた落書きのうち決して少なくない割合が、これらのように荷札(ここでは宅急便類に貼られるシールの総称とする)で作られているのだ。
本稿は、こういったいわば「違法荷札」、およびそれらを貼って回っている「荷札族」とでも言うべき人々に関するレポートである。
違法荷札の定着について
さて、今回彼らを「荷札族」と呼称してはみたものの、違法荷札をボムる(路上にこの手のシールを貼って回ることを指す隠語)徒党というのは決して特定少数の集団ではない。
これから主に渋谷で見かけた違法荷札を紹介していくが、そんな狭い地域内でも描かれている意匠はさまざまで、個人あるいは団体の署名と思われる部分だけでも相当の種類がある。
また一口に荷札といっても、実際使われるものはバリエーション豊かだ。
下の壁なんかは、まるごと引っ剥がしてヤマトに持っていけば、そのまま発送してオフィスの隅に立てかけてもらえそうな充実ぶりだ。
「荷札族」と呼びうる人々は、すでに一定の広がりを見せていると考えるべきだろう。
違法荷札の発祥に関する考察1.模倣・カウンター・メタファー
さて、そもそも彼らはなぜ「荷札」を用いて自己表現を行うのだろう。こういったカルチャーは、どのような経緯で誕生したのだろうか。
自分がまず最初に立てた仮説は、なにか既存の文化におけるかっこよさを表現しているのではないか、というものである。
数年前、ヴェイパーウェイヴが流行したころに中野でテプラを用いた落書きが発生したように、荷札はなんらかのカルチャーと親和性が高いのかもしれない、と考えたのだ。
たとえば、荷札の中でも「配達日時指定」や「引っ越し用」のものは、古くから落書きによく使われるステッカーとやや意匠が似ていなくもない。
近いと言われればまあ近いかな、くらいの親和性ではあるが、たとえば昨年末の筆者が年越しそばをカップ焼きそばで済ませたことに比べれば、十分妥当な置き換えといえよう。
このくらいの差異ならばむしろ、"HELLO my name is"ステッカーに対するカウンターカルチャーとしても機能するかもしれない。
(ちなみに、"HELLO my name is"ステッカーはもともとアメリカのパーティで名札として使われるもので、そこから落書き用途に使われるようになったらしい)
またこの「ワレモノ注意」なんかも、単体で見る限りは「ワレモノ」をなにかの比喩と解釈する余地も見いだせなくはない。
無遠慮に法を冒して街を汚す徒党も、ガラスのように壊れやすい心の持ち主だったりするだろう。このくらいの矛盾は、我々がSNSで毎日見ている地獄と比べればかわいいものだ。
さて、実際のところ、これまで紹介した仮設はいずれも、冒頭で紹介したような「送り状」を使ったステッカーに意味を与えられていないことを認めなければならない。
これについて統一的に説明する仮説として、メッセンジャー文化との関連なども指摘できなくはないが、バイク便と宅急便を同一視するのはやや無理があるだろう。
そこで登場するのが次なる仮説、いわば「実用説」である。
違法荷札の発祥に関する考察2.実用説
そもそも荷札族が、どのようにして荷札を調達するのか、ということを考えてみる。
彼らを一旦若者であろうと仮定すると、学業などの傍ら、コンビニやドラッグストア、宅配業者などでバイトをしている例も少なくないだろう。
筆者の過去のバイト経験(コンビニ)を思い返すに、店内にあった宅急便の荷札は希望者に無料で渡してよいことになっていたし、とくに棚卸しの対象とはなっていなかったはずだ。
つまり、コンビニバイトやその友人にとって、荷札はきわめて「調達」が容易なのだ。
さきほど「一般的な落書きシール」として紹介した「HELLO my name is」ステッカーは、1ロット100枚前後が1000円少々。決して高いものではないが、それでもバイトで暮らす学生などにとっては手痛い出費だろう。
すぐ手の届くところに無料の素材があれば、代わりにそれを使ってしまえ、という発想はいかにもありそうだ。
また、宅急便のものとは異なるこの手の荷札は、もしかすると一部のオフィスや引越し業者で手に入るものかもしれない。
そうでなくても、ホームセンターあたりで1ロット20枚100円程度で手に入るため、「ふつう」のシールよりもうんと初期投資が少なくて済む。
こちらについても「入手のしやすさ」で説明ができそうだ。
遍在する違法荷札およびその見分け方
さて、仮説が立ったら次は検証である。
一番手っ取り早いのは、荷札族の「現場」を押さえるなどして当事者に話を聞くことだが、仮にも法に触れる行いをしているひとたちが、chocoxinaのようなよそ者に話を聞かせてくれるとは考えにくい。
実際、筆者もネットでかなり「当事者」に近い人物を見つけ、荷札族シーンについてメールで問い合わせたのだが、今のところ返信は得られていない。
ほかにも、chocoxinaの古い友人に、多少そちらのカルチャーに明るい者(元ストリートダンサー)がいるのでそちらのツテを頼ろうかとも考えたのだが、当人曰く
「ストリートカルチャーでちゃんと活動している人間は(世間における立場をわきまえているから)なるべく外では大人しくするのが身上で、仮に身内にタギング(シール貼り)をやっていた奴がいるとしても決して教えてくれないだろう」とのことだった。
となればこちらは、あくまでも観察に徹して傍証を集める必要がある。
もし違法荷札が、ある種の流行によってではなく実用上の理由で生まれたものならば。
それこそ人類史において、道具としての「火」が同時多発的に使われだしたように、渋谷以外の、文化的に隔たりがある地域でも同様に違法荷札が確認できるはずだ。
(むろん、広範囲で違法荷札が確認できる、というだけでは実用説の完全な裏付けとはならないが、「"HELLO My name is"ステッカーのカウンターとして荷札を使うような込み入ったコンテクストが、地域を超えて伝播した」などという説よりは蓋然性が高いと示すことにはなるだろう)
そう思って各所の繁華街に出向き、また近所に住む友人に協力を依頼したのだが、結論からいえば「あるわあるわ」であった。
笹塚・明大前
池袋
中野
秋葉原
もう「東京にある落書きシールのうち、3〜5パーセントは違法荷札」くらい言ってしまっても大きな間違いではなさそうだ。
これまでただの白いシールだと思って見ていたものも、いったん「違法荷札」について知った者の目にはその多くが「送り状」であることがわかる。
あの馴染み深いサイズ感に、印刷された数字やバーコード。上に貼ってあった伝票のノリが3辺に残る感じや、底面のノリが途切れている部分などに気をつければ、みなさんも近所で違法荷札を見つけることができるだろう。
また「枠付きのシールだと思ったら引っ越し用の伝票」というパターンについては数こそ少ないものの、その気で探せば送り状よりは気づきやすいはずだ。
今回の調査範囲は都内に限られているが、もし他県で荷札を見つけたらぜひ筆者に共有してほしい(Twitterのハッシュタグ #違法荷札 とかで)。
違法荷札文化の発展
さて、違法荷札がどのような経緯で発生したにせよ、数が増えればそれは流行となり、流行にはカウンターが生じる。
違法荷札界隈にも「ちょっと変わった荷札」を使う潮流が存在するのだ。
関税告知書である。おそらく日本郵便あたりで働かないと手に入らないだろうし、なんとなく、くすねたのがバレたらものすごく怒られそうな気がする。
クリーニングに使う荷札と思われる。宅急便のコンテクストから外れており「実用説」を補強する傍証としても見どころがある。(2月7日追記:こちら宅配業者が荷物をまとめて管理するためのカゴに貼り付けるタグだそうです。@masa_game_chさん情報提供ありがとうございます。)
USPS、すなわちアメリカ郵便公社の荷札である。いかにも入手困難そうな荷札は、他の荷札族からの羨望を受けること間違いなしだ(なお、本エントリに彼らの表現や思想の拡散に寄与する意図はないため、"思想"が感じられる部分にはその内容を問わずモザイク処理を施しているが、表記は日本語であった)。
韓国のものもある。日本で取扱いがあるとしたら日本郵便あたりだろうか? 上から書かれた意匠がハングル的でもあるため、観光客が貼っていった線も考慮せねばならないが、その場合「違法荷札は海外発祥で、ストリートキッズにとっては昔からの常識だ」という説も立ち上がってくる。
ちなみに、諸般の事情で公開は避けるが、現在国内で「グラフィティ(落書き)用途への転用を示唆しながら、主に国外向けに日本の荷札を販売するサイト」の存在も確認している。
おおもとの発祥が国内外のどこにあるかはともかく、日本では日本の違法荷札文化がすでに定着・成熟していることは間違いないだろう。
今後、日本の荷札を海外の路上で目にする可能性もありそうだ。
落書きは器物損壊や建造物損壊などの罪に問われる可能性があります
以上、東京都内の「違法荷札」事情について紹介させていただいた。
日本各地や国外での状況についても興味はつきないが、ともかく都内の広い範囲にわたって発生していることは確認できたので一段落とさせていただく。
今後も、彼らの自己表現に深入り・肩入れしない範囲で観察を続けていく所存だ。