chocoxinaのover140

ハンドルは「ちょこざいな」と読ませている

「好きな女性芸能人」を聞いてくる奴は心理テスト地獄に落ちろ

酒の席でしばしば出る話題として、「好きな(異性の)芸能人は?」というのがある。
それは共通の話題が少ないコミュニティでのアイスブレイクだったり、相手の異性の好みを聞き出すための駆け引きだったりするだろう。

そんな背景はともかく、chocoxinaはその質問がめっちゃ嫌いなのだという話をします。

テレビ見てない

まず、この質問にchocoxinaがいっさいの演出や誇張や空気読みもなく、正直に答えようとすると

「いやーテレビ観ないんで分かんないですねー」

となる。

ただ、これだけでは場が大なり小なり白けるのは確実。

もとより、こういう質問をしてくる相手は、ただ純粋にchocoxinaの女性芸能人の好みが聞きたいわけではなく、ただその場の話を盛り上げようとしている場合が大半である。
それが分からないようなchocoxinaでもないので、こういった質問をされた時は、無い知識を総動員して芸能人のことを思い出す羽目になるのだ。

これがまず不快なところの一つではあるが、この程度の不快は全ての人が大なり小なり、対人コミュニケーションにおいて常に感じていることであろうから、ここでことさら取り上げるつもりもない。

インディーズ心理テスターの毒牙にかかる

さて、そうして件の質問を投げかけられたchocoxinaは、必死にここ数年レベルのテレビ事情を思い出しながら「好まれそうな感じの女性芸能人」を思い出すことになる。

なんとかカンナって最近テレビ出てたっけ? 「のん」は賑やかな飲み屋だと聞き取りにくいだろうから能年玲奈って言うべき? そもそものんってどんな顔だっけ? 「佐々木希」っていたけど「どれ」だっけ?今ふいにきゃりーぱみゅぱみゅのこと思い出したけど、あれって可愛い枠の人だっけ? 松平健の娘が美人だって聞いたことあるけど顔も名前も思い出せねえな……

などと考えた結果、一番顔と名前が一致したという理由で

「ほ、堀北真希とか?」

と答えることになる。

すると、だ。

その質問を投げかけてきた女(30代)(男を物件と呼ぶ)(自称サバサバ系)(思春期に黒マニキュア)が、さぞつまらなそうにこちらを一瞥して

「あー清楚系がね」「オタクが好きそう」「化粧っ気薄いのがいいんでしょ?」

などと、好き放題にインディーズ心理テストの結果を投げてくる。

これが何よりも許せないんである。

そもそも、こちらが普段からテレビを見ている前提で件の質問をしてきた時点で、既にお前の性格診断は失敗しているのだ。
それをお前、場を冷やすまいというこちらの厚意に気づかないのはともかく、あまつさえその厚意をダシにさも人の価値を見切ったかのような顔をしやがってお前、という話である。

心理テスト地獄とは

そういったわけなので、chocoxinaの信奉する宗教では「好きな女性芸能人」について聞いてきた奴はおしなべて「心理テスト地獄」に堕ちることになっている。

心理テスト地獄というのは、漫画家の施川ユウキ氏がデビュー作「がんばれ酢めし疑獄!!」内のコラムにおいて提唱した地獄である。

その地獄に堕ちると鬼が毎日心理テストを出してきて、答えるたびに

「自己愛が強すぎる傾向があります」「あなたが恋人に求めるのは経済力です」

などとこちらの性格を計ってくるのだ。

さて、そんな施川ユウキ氏ですが、現在新作「銀河の死なない子供たちへ」を連載中なのでぜひご覧ください。

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ボードゲーム(Scythe)のミニチュアを塗装すべきではない11の理由

1:金がかかる

もとよりボードゲームは金のかかる趣味である。
一つのゲームを仲間内で何十回も遊んでいるうちはいいのだが、気づけば今後10回も遊ばないような図体のデカい箱を5,000円とかでいくつも買うことになるのだ。

その上ミニチュアの入ったボードゲームは更に高額になる。
今回chocoxinaが塗装したScytheは税抜き一万円。第1拡張の日本語版はプレ値で六千円。第2拡張の英語版をもし買うならもう四千円で都合二万円。

それだけの出費があった上で、さらに塗料そのほかの値段がかかってくるわけだ。
chocoxinaはギリギリまで初期投資を抑えたつもりだったが、まず最も安いアクリル塗料6色と小道具類のセットが1,200円。
そこにシェイドとかいうなんかシャバシャバした塗料と、プライマーとかいうなんか塗料のノリ(?)を良くする(?)とかいう触れ込みのザラザラした塗料を買うと更に1,200円。 プライマーはふつうスプレータイプ(chocoxinaは筆で塗れるやつにした)なので、ベランダなどの環境とその場所をスプレーの飛沫から守るための設備も必要になるだろう。

ここまで塗装にかかる金だけで2,400円。 倍の値段がするマトモな塗料を十分な色数揃えたり、筆やその他の小道具にまでこだわったら1万円に迫るだろう。
俗に大箱と呼ばれるサイズのボードゲームが2個買える値段だ。
既に問題なく遊べるボードゲームの見栄えを良くするだけのためにかける金額としてはかなりのものである。よほどの富豪以外はボードゲームのミニチュアを塗装すべきではない。

2:誇大広告に騙される

フィギュアの塗装には一定の手間がかかるのだが、その手間は我々素人の予想を大きく超えている。

インターネットで「ミニチュア 塗装」などと検索すると「誰でも簡単にできる!」「初めてでもこんなに良く塗れるんだ!」みたいなページがわんさか出てくるが、あれはいわば通販番組のガヤみたいなもの、誤解を恐れずに言えば誇大広告だといえよう。

ああいった体験記事は、ウォーハンマーストアとかなんとか呼ばれる専門店の、一切の設備が整ったテーブルで、一番廉価でつくりが簡単なフィギュアを「ただ塗るだけ」だから簡単なのだ。

我々はまず環境をつくるために、ボードゲームを収めるメタルラックが入っていた段ボールをちぎって作業台とし、ちゃぶ台の脇に設けた座椅子で背中を丸めてそのダンボールに相対するところから作業を始めるのである。

これから紹介する様々な苦労に相対して「話が違うぞ!」と言うことにならないためにも、ミニチュアを塗装すべきではない。

3:金をケチるといらん手間がかかる

塗装の最中にも、ああいった体験記にはない手間が発生する。

例えばchocoxinaは塗料を6色(赤青黄緑白黒)しか買っていないので、動物の毛色や軍服のカーキ、人間の肌の色などをいちいち混色してつくる事になる。
「彩度を下げるにはグレーを混ぜる」「混色の際は薄い色に濃い色を足す」など、図工の知識を総動員しながら延々と塗料をこねないことには、フィギュアに色を乗せるというメインディッシュに移れないのである。

その後の作業に熱中してパレットの塗料を乾かしてしまったら、また同じ色を混ぜるところからやり直しだ。

そういった手間を嫌って新たに出来合いの塗料を買えば、その分の費用がかかることは既に話した通りである。

ボードゲーマーは一般にジレンマを好むが、ゲームの外でまで金と手間のジレンマに陥りたくない人は、ミニチュアを塗装すべきではない。

4:環境整備も大変

chocoxinaの塗装道具(消耗品を除く)はこれだけ

ここまでの苦労を超えていざミニチュアに塗料を乗せられる段になったところで、急ごしらえの作業場には足りないものばかりだ。

例えば、太い筆を細い筆にいったん持ち替える、というときに、太い筆をちょっとおいておくような気の利いた場所がない。
奥まった部分をよく見るためのライトもない。
真っ黒になった筆洗いをまめに綺麗にできるような手近な水場もない。
調色用の棒も、スターターキットに入っているものだけでは圧倒的に数が足りない。

ちょっとミニチュアに色を乗せるたびに筆を口に咥え、調色用の棒をすすぎ、すすいでも落ちない塗料を爪でこそぎ、筆洗いの排水を洗面台に流して水垢にウェザリングをかけたりする、という目に遭いたくないならば、ボードゲームのミニチュアを塗装すべきではない。

5:普通に難しい

塗装という作業に付随する諸々だけでもこれだけ手間なのだが、更に悪いことには塗装そのものが単純に難しい。

このミニチュアが例えば仁王立ちの鎧一つとかであったならまだ楽なのかもしれないが、Scytheのキャラというのはすべて動物と人間のペアになっている。

銃を構えたおねえさんとでかい熊がその幅3mmで隣り合っているところに筆を差し入れて、片方は茶色、片方は緑色に塗装しなければならないのだ。

こういう隙間に筆を突っ込むことになる

あまつさえ、キャラによっては動物のいる側にカバンを提げていたり、動物が腹の下にまでベルトのようなものを通していたりする。

隙間や裏側をどうにか見ようとしてフィギュアを持つ左手をねじったり、どうにか筆を差し入れようとして右手をねじったり、その結果要らんところに余計な色がついて発狂したりといった目に遭いたくないならば、ミニチュアを塗装すべきではない。

6:おっさんほど綺麗に塗れる

Scytheのフィギュアはおねえさんが4人、おっさんが3人という内訳である。

一般的におねえさんよりもおじさんの方が体格がいいものだが、これはミニチュアの文脈に置き換えると「おねえさんの方が塗るべき面が狭く、塗装が難しい」ということだ。

その結果、塗装を進めるにつれておっさんの姿がそこそこ様になっていく一方で、おねえさんはどうにも納得いかない感じになる。どう考えても本来逆であるべきだ。

よりによってchocoxinaが一番まともに塗れたのはアルビオンのコナーおじさんで、彼はなんかスカートみたいなやつを履いているためブーツとの間に絶対領域を形成している。 おっさんの絶対領域を綺麗に塗る羽目になりたくないならば、ボードゲームのミニチュアを塗装すべきではない。

7:目が死ぬ

もとより現代社会というのは目を酷使する。

かつては両目1.5あったchocoxinaの視力も、今では0.7とかその辺りまで落ちてしまった。
次の免許更新までにあと少しでも視力が落ちれば、裸眼で乗り物の運転ができなくなる瀬戸際である。

そしてこのミニチュア塗装という作業は、われわれに「目の先30cmにあるものを隅々まで確認し続ける」ことを強いるのだ。

次の免許証に「眼鏡等」と書かれたくないならば、ボードゲームのミニチュアを塗装すべきではない。

8:時間が食われる

実際はこれが4体ずついる

今回塗装にあたってchoccoxinaは「とにかく手間をかけない」を第一に作業を開始した。

作中でメックと呼ばれる単色成型の多脚戦車フィギュアはウェザリングをかける以外の一切の塗装を行わなかったし、キャラクター達についても多少のアラが隠れることを見越して、「最後に汚し塗装をして終わり」というフローを組んだ。

それでも、平日のアフターファイブを丸三日分消費することになったのだ。

ただ寝るまでの時間を使い切るだけならいいのだが、このミニチュア塗装とかいう作業は我々に時間を忘れさせるという非道な性質があるので、日によっては午前三時まで作業をさせられてしまったこともある。
当然、翌日のパフォーマンスに多大な悪影響を及ぼしたことは言うまでもない。

貴重な睡眠時間を削りたくないならば、ボードゲームのミニチュアを塗装すべきではない。

9:部屋が汚れる

どんなに気を付けていようと、家の中で塗料というものを扱う以上、部屋が汚れることは覚悟しなければならない。

筆をぬぐうためのキッチンペーパーを通り越した汚水がちゃぶ台に塗料のシミを作ったり、乾いた塗料が散らばってクッションフロアの素材と固着したりする。 床に落ちたものは大急ぎでこすり取ったが、家具の裏など目立たないところに残った塗料は、今頃既にフロアと一体となってしまっていることだろう。

とくに引越しを間近に控えている人は、ボードゲームのミニチュアを塗装すべきではない。

10:いつまでも納得がいかない

トラの色味と模様に納得がいってない

一般に、生産的な趣味というのは終わりがないものである。

霞がかった雰囲気のイラストを見て、色味をどう解釈するか?
ディテールをどこまで塗りこむべきか?
そもそも素体のバリとか取るべきだったか?
トラの毛色 、もう少し赤味を足したほうが良かったんじゃないか?

そういった終わりのない問いに苛まれたくないならば、ボードゲームのミニチュアを塗装すべきではない。

11:やたら愛着がわく

そうしてこちらに多大な苦労をかけたミニチュア達だが、完成して一晩も経つと妙な愛着が湧いてくる。

もっかい見て

塗りの汚いところ、厚ぼったいところ、色味の甘いところなど、まるごと「むしろ味では?」などと思い始める体たらくだ。

その愛着はゲームそのものにも及ぶ。

このScytheというゲームはシステムにものすごい新規性があるような作品でもないので、本来chocoxinaのような偏屈なオタクは

「まあ悪くないけど、BGG1 7位は過大評価だよね。見た目を重視しすぎでは?」

みたいなスカした態度を取りたいところなのだが、今はこのゲームを一度でも多く遊びたい気持ちに支配されている。

たかがゲームに愛着をもち、よりポジティブな気持ちで相対する経験をしたくないならば、ボードゲームのミニチュアを塗装すべきではない。


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手品で一回ワザと間違えたフリするやつやめろ

分かってる。

「手品師がマジでミスっててリカバーしてるパターンもある」ってのは分かってる。

これからする話はそうじゃないパターンへの苦言である。

「一回ワザと間違えたフリをするマジック」というのは、例えばこんな流れのものだ。

マジシャンがカードをパラパラとめくり、観客に一枚のカード(たとえばハートの5)を選ばせる。

それをよく切るなりなんなり、次のネタを仕込んだりなんだりした後、例えばあらかじめ用意していた封筒か何かからカードを一枚取り出す。

「あなたが選んだカードはこれですね?」などといって封筒からカードを取り出すと、そこにはクラブのキングが入っている。

「それじゃない……」という観客のリアクションに対し、マジシャンがあからさまに困ったフリをしながら後ろを向くと、背中にハートの5が貼りついている、と、こういうパターンの奴だ。

chocoxinaはこれが許せないのである。

そもそも、手品というのはある程度観客に「空気を読む」ことを強要する。

これは「知っているタネをバラさない」とかそういうレベルの話ではない。

例えば、カップの中にスポンジボールを閉じ込めたとおもったら、そのカップを開けてもボールが見当たらない、という現象を見せられたとき。

先進国でまっとうな教育を受けた人間であれば、まず「おーすごい、どこに隠したんだろう」という感想がわく筈である。

その上で、これはマジック(奇術)なのだぞ、という文脈をふまえ、我々は「ボールが消えた!」とリアクションするのだ。

観客のこのような「騙されにいく」姿勢によってこそ、手品は不思議さを保っている、といえるだろう。

そこで冒頭の「一回ワザと間違えたフリをする」マジックである。

もともと手品に対して積極的に騙されようとしてくれている観客を、芝居で更に騙してやろう、などというのは、あまりにも観客をナメてやいないか。

確かにお前が、観客に望むカードを選ぶよう誘導したり、スポンジボールを巧妙に手の中に隠したりする技術は素晴らしいが、それが不思議な現象として成立するのは観客の協力あってこそだろう。

空気を読んで手品を楽しんでいる観客に、役者でもない人間が芝居をしかけて、その芝居にさえ騙されてもらおうなどとは、あまりにも横柄で、観客の善意におもねりすぎているとは思わないか。

そもそも手品師というのは、失敗した芝居をするときでさえ、妙に堂々としている。

目の錯覚を起こさせたり心理を誘導したりするために必要な姿勢なのだろうが、それにしても「したり顔」が過ぎる。

その堂々とした振る舞いの流れで「手品を失敗した芝居」など見せてくるものだから、さながら「どうです、私の迫真の演技! 本当に失敗したと思ったでしょう!」とでも言われているようでますます腹がたつのだ。

こちらはショーのひとときを楽しむために、あえて騙されているのだ、そこを見誤るなよ、と、マジシャン各位には申し上げたい次第である。