【落ちのない話】天使でも女神でもない歌声を聞いた
出勤途中に毎日通る住宅街で、前方に見慣れない親子連れを見かけた。
小学一、二年生だろうかという男児はこちらに背中を向けながら頭をぐったりと垂れ、腕や脚を不自然な方向に曲げて、右隣の母親に脇を抱えられながらどうにか歩いていた。背中越しにも、何かしらの障碍を抱えていることが容易に見て取れた。
隣の母親は、身長がその男児と頭2つ分も違わないような小柄な女性だった。俺は反射的に「大変そうだな」と思った。
ゆっくりと歩く二人を追い越しながら、彼女らの方を振り向かないように、彼女らを自分の下卑た好奇の目に晒さないように気をつけていると、女性の声が聞こえてきた。「さんぽ」を歌っていた。
月並みに形容すれば、その声は天使のようだった。
人の声から受ける印象などというのがまったくアテにならないことは知っているし、俺は世の母親に女神的な母性を期待するような乳臭い人間ではない。自分自身が声で、見た目で、表情で誤解を受けることの多い人生を送ってきたし、俺の母は自分が小学校に上がる前に家を出ていった。今日俺が彼女の声に抱いた感想というのはつまり「子どもの障碍に負けない母の愛」みたいな夢想から来るものではなく、例えばアイドルが歌うのを聞いて「ナントカちゃんの歌声は天使」などと言うのと大きく変わりないもののはずだ。少なくとも、変わりないものでなければならない。
キーを四度下げて、囁くように穏やかに歌う。歩こう、歩こう、私は元気。合間合間に男児の声が聞こえる。その背丈に不釣り合いなほど低い声で呻く。彼女にはその呻き声の機微が分かるのだろうか。今、喜んでいるな、と感じられるのだろうか。歩くの大好き、どんどん行こう。
彼女に女神のような母性や愛を期待してはならない。ただでさえ子育てというのは苦労が多いと聞くし、まして子どもが障碍を抱えているとなれば尚更だろう。ときには子どもを殺したいほど憎むようなことすらあって不自然ではない。彼女がどんな気持ちで「さんぽ」を歌ったのか、俺には知りようもない。
それでも、彼女に育てられたあの男児は幸せだろうな、と思わずにいられなかった。たかが歌声から勝手に彼女の愛を想像したわけだ。言い訳すれば、それほどの声だった。
俺は彼女に、自分の「性的な妄想のネタにするよりも下卑た行い」を内心で詫びながら早足でその場から逃げた。耳に残る彼女の声を忘れようと努めた。彼女の声に感じ入ることは、感動ポルノの消費にほかならないと思ったからだ。――考え過ぎだろうか。
【落ちのない話】デパートの柱をじゃきじゃきにする仕事
少し前、新宿小田急を歩いていたら、一階の一部が「天井工事中」となっていて、がっつり工事用の足場が組んであった。
「なんの工事かなあ」と思いながら頭上を眺めていると、ちょうど工事中の部分と工事中でない部分の境目にさしあたって、その工事中でない(おそらく工事が終わった)部分では、天井というよりはむしろ柱の上部に、なにかこうじゃきじゃきとした、例えるならCPUのクーラーのような装飾が付いていることに気付いた。柱に装飾を施すための工事だったわけだ。
思い起こせば、デパートの柱というのはたしかになにかしらの装飾がついていることが多かったように思うが、今まで特段意識したこともなかった。でも世の中には「そろそろ柱の装飾を変える季節だな」とスケジュールする人や「今度の装飾はなんかじゃきじゃきしたやつにしよう」とデザインする人、そのじゃきじゃきしたやつを実際に作る人や、それを取り付けるための工事をする人がいるのだな、という気づきがあった。
で、そうやって、柱の装飾をじゃきじゃきにするひとたちの中で、とくに具体的な意匠、つまり、今シーズンはじゃきじゃきにしようとか、シーズンによっては水玉だったりしましまだったりにしようと決める人たちというのは、一般にはデザイナーと言われるものなのだろうけど、そういうデザイナーさんというのはつまり「なにデザイナー」なんだろうか。「デパートの柱デザイナー」というわけでもないだろうし、さしづめ「空間設計デザイナー」といったところだろうか。いちど話を聞いてみたい。
水を旨くするラーメン調べ
学生の頃は、水分補給といえばもっぱら炭酸飲料で、ペットボトルの水などは「なぜわざわざ好きこのんで味のしないものを」と下に見ていた節すらあったのだが、いつからか只の水をことのほか美味しく感じるようになった。
天気の良い日にコンビニで買って飲む天然水や、一汗かいた後にウォーターサーバーから飲むよく冷えた水なども素晴らしいが、一番水がおいしいシチュエーションといえばやはり「ラーメン屋」だと思う。
むせ返るような湯気をかき分けて熱々の麺をわっしわっしと啜ったあと、すっかりラーメン味になった口の中にキンキンに冷えた水を流し込むのだ。
あれって、やはりラーメンの種類によって水の美味しさも変わるのだろうか。調べてみよう。
家系ラーメン
なんとなく「やっぱり濃い味のスープを流し込むように飲む水が旨いだろうなあ」と思ったので、知っている中で最も味の濃いラーメン屋に来た。杉並区方南にある「桂家」という店だ。
今年の初めごろまで店主の体調不良で長期休業していた上、現在も不定休で門前払いを食らうことも多いため、たまにこうして営業中だとついテンションが上がってしまう。
スープは濃厚だが油に覆われて刺々しい感じはなく、それぞれ強烈な油と旨味と塩気とがひとかたまりになって、舌に重いブローを利かせてくる。
一枚一枚がうれしい厚さに切られたチャーシューをかじり、よくスープに馴染んだ海苔とほうれん草で半ライスをかき込む。「家系を食いたい」と思ったときに活性化する脳の部位がすべて喜んでいる感じがする。
口中を支配する濃厚な味と油が、たかが水一杯くらいでは切れてくれないのだ。
給水器の水そのものが、ピッチャーから供されるものほどには冷えていないのも相まって、飲み切ったあとの「水がうめえな!」という感慨はない。「春休み前に転校してきた奴」くらいの印象の薄さだ。
しかしここでも水を飲む利点は確かにあって、例えば麺をひととおり食べ尽くしたあとでスープを残して帰るつもりで水を飲むと、口のなかに残るスープの味が懐かしくなってスープを一口すすってしまい、そこからまた止まらなくなる、という風に、幸福なジレンマを味わうことができる。
家系ラーメン
- サポート力(水を旨くする力):★★☆☆
- 飲んだ水の量:1.5杯
- 水どころではなさ:★★★★
- 水の飲み頃:スープと交互に少しずつ
天下一品
家系ラーメンが「水のチェイサー」としてはやや不十分だったため、別ベクトルで濃い味のラーメンを求めて天下一品に来た。
この特徴的なスープを見ているだけで喉が渇く。これは期待できそうだ。
指先にありがたい重みを感じながらすすると、吸い込む空気にまるで色でもついていそうなほどの鶏ガラの臭気が満ちて、むせ返りそうになる。
重さに負けないようにわしわしと麺をすすり、ざらついたスープの中の強烈なうまみに卒倒する。軽快な食感のメンマであごを休めながら、戦うように食う。
天一のこってり味とざらざら感が綺麗に洗い流されて、清純な水の味が舌を滑る。
ピッチャーから注ぎたての水は、麺をすすり続けて酸欠気味になった脳をキンと冷やしてくれる。瀕死のときに飲むエリクサーはきっとこういう味がするのだろうと思う。
天下一品
- サポート力:★★★★
- 飲んだ水の量:2杯
- 中毒性:★★★☆
- 水の飲み頃:いつでも
汁なし担々麺
さて、もう一軒くらい調査をしたいところだが、三日連続のラーメンはさすがにいろいろ(肌とか肝臓とかに)不安がある。
最後はなるべく体に悪くなさそうなものがいい。例えばスープがなくて、ちゃんと野菜とかが入っているもの。
そういえば、そもそも本場中国では汁の入っていないのが普通の担々麺だとかいう話もありますが、今回のメインは水なので些末な話ですね。
――濃厚なゴマの香りの中にひき肉のうま味、あとはアミエビかなにかの複雑な風味が広がる。クセになるタイプの味だ。
担々麺のキモである唐辛子と花椒はその濃厚さに覆われているようでいて、食べ進めるうちにじわじわと辛い。額の汗腺が開き、舌先が正座した足みたいに痺れる。身体がイレギュラーな刺激に対応しようと活性化するのが分かる。金曜夜の疲れ切った脳に喝が入る。
上に乗ったシャキシャキの水菜が爽やかで、口の中が適度にリセットされていくらでも食べられるようだ。
花椒で心地よくしびしびととした舌を、キンキンに冷えたレモン水が流れる。するとなんだか、水の冷たさがアップしたような、むしろソーダ水の味がするような、とにかく不思議な感覚がして楽しい。
そうでなくても唐辛子でじんわりと汗をかいた身体はおのずと水を求め、麺を完食した後の何も残っていない状態から、水を2杯、3杯と飲めてしまうのだ。
汁なし担々麺
- サポート力:★★★☆
- 飲んだ水の量:3杯
- 楽しさ:★★★★
- 水の飲み頃:すべて食べ終えてから
まとめ
結論ありきで検証を進めた感があるが、ともかく今回の調査では、水を旨くするラーメンの条件として
・味が濃い
・油っぽすぎない
・そもそも水がピッチャーで出ていて冷たい
が大事であることがわかった。今後も引き続き、今回の条件に合致する「本格派博多とんこつ」や、条件に当てはまらないのにやたら水が美味かった記憶がある「昔ながらの鶏ガラ醤油」などについても調査を進めたい。
とはいえ、本件検証後の土曜日は内蔵が疲れて一日中ぐったりしていたので、しばらく日を空けたいと思います。