外国人アルバイトの怪
ここ数年、コンビニや飲食店で外国人の店員を目にする機会が明らかに増えた。
かつては彼らのたどたどしい日本語や、横柄に映ることもある態度などに戸惑うこともあったが、今ではすっかり生活の一部である。
しかし、彼らについてどうしても腑に落ちないことが一点だけある。
彼らは「接客」を任されすぎではないかということだ。
どういう意味かといえば、例えば牛丼チェーン。 日常生活を心配させられるほどにたどたどしい日本語の店員とどうにか意思疎通をはかり、三種のチーズ牛丼のオーダーに成功したあとで、彼の「オーダー入リマス」という声に応える厨房に目をやると、たいてい日本人の、それも学生と思しきアルバイトが多くいる。
いくらなんでも、その仕事の振り分けは逆にすべきではないかと思うのだ。
外国人は接客をするな、というつもりでないことは繰り返させてもらうが、それにしても適材適所というものがあろう。
客とより円滑なコミュニケーションが取れる従業員と、そうでない従業員がいたとき、どちらが接客スタッフとして適材かは明白だ。
なぜこのようなミスマッチが多く発生するのか、理由を考えてみたい。
1.日本語の勉強を兼ねている
いかにもありそうな理由だ。外国人接客スタッフは自らをより多くの日本語話者と触れられる環境にあえて置き、以って日本語の訓練としている、という仮説である。
しかし果たして「セアブラオニモリ」だの「ブーテーイッチョー」だの「イーガーコーテル」だの言う環境が日本語の勉強になるかという疑問は残る。
そういった冗談はともかくとしても、個人的には接客業というのが、それこそ面接を通る程度に日本語を使える外国人にとって、それ以上の上達を得られる環境だとはどうも思えないのだ。
2. ホールスタッフは人気がない
それゆえとにかく金が必要な境遇のひとたち(アルバイトの外国人は少なくとも日本の学生より金が必要だろう)が接客にあたることが増える、という仮説だ。
しかしそもそも両者にそこまで人気の差があるかどうか微妙なところだ。
個人的にはキッチンのほうにむしろ恐ろしく激務なイメージがあり敬遠したい。
3.意外にもキッチンはホール以上にコミュニケーション能力を要する
これは考えにくいが、ホールにおけるコミュニケーションというものを考えてみると以下の新たな仮説が浮かぶ。
4.日本人従業員との関係
一番あってほしくなく、またchocoxinaが個人的に一番ありえそうだと思っている理由である。
例えば、日本語が上手に使えないがゆえに店内の「政治」に負けて、面倒な接客を押し付けられている、だとか。
あるいはもっと露骨に、忙しいキッチンでたどたどしいコミュニケーションが疎んじられているとか。
こういうことを考えるのは他ならぬchocoxinaが外国人を差別しているからだ、というお声があるかもしれないし、それを強く否定できるほど清廉な人間でもないが、それにしても無視できない仮説だと思う。
このほかに考えられる理由があるとしたら、以下だろうか。
5.chocoxinaから見えないところに外国人キッチンスタッフがいる
こんな所だといいのだけれど。お後がよろしいようで。
【落ちのない話】まともなハンバーグ
Sガストのハンバーグがリニューアル記念に割引されていたので食べてみたのだが、これが思いのほか旨かった。
全体的にふっくらとして柔らかく、かつひき肉の食感も残っていて、ああハンバーグの旨さってこうだよな、ということを思い出す味だった。
これは、Sガストのハンバーグがそれだけ旨いというよりもむしろ、chocoxinaのハンバーグに対するハードルが下がりすぎていたがゆえの感動だったように思う。
そもそも、最後にまともなハンバーグを食べたのはいつだったか。
まともなハンバーグを食べられるところというと思いのほか限られていて、専門店かステーキハウス、それからいわゆる洋食屋といった辺りで、どれもそこかしこにあるタイプの店ではない。
この中で一番見かけるのはステーキハウスだが、そこでハンバーグを食べることはめったにない。
考えてほしいのだが、例えばちょっと財布に余裕があるからと浮ついた足取りでステーキハウスに入ったとして、その時注文するものといったら当然ステーキだろう。
ハンバーグなどというどこでも食えるものをわざわざ頼んだりしない。なにせステーキハウスに入ったのだから。
洋食屋も然りだ。洋食屋に行って食べたいものが何かは人によって違うだろうが、タルタルソースの乗ったエビフライや、気の遠くなるほど煮込まれたビーフシチューなどが並ぶメニューの中で、どこでも食べられるハンバーグはどうしても見劣りする。
我々はどこでも食べられるがゆえに、ハンバーグを軽んじてきた。
そうして、積極的に選ばれることのないたぐいのハンバーグばかり食べてきた。
たとえば、居酒屋のランチで、社食で、仕出し弁当で、スーパーの安売りで。
そうやって食うハンバーグは大抵ぺたんこにつぶれていて、カマボコに近いような食感をしている。
味のほうも、例えばお菓子の中に「イチゴ味」を名乗るまったくイチゴとは違う味のものがあるように、あれらのハンバーグはいわば「ハンバーグ味」としか形容できない、動物性たんぱく質と何らかのツナギが混然一体となった味がする。
そしてその上には、そのハンバーグ味を覆い隠すためか、やたらと味の濃いソースがかかっているのだ。
そういうものばかり食べるうち、我々はハンバーグのことを「大してうまくないもの」だとみなすようになっていったのだ。
ちかごろインターネットでは「さわやか」のハンバーグが人気だが、あの評判のよさの何割かは「久しぶりにまともなハンバーグ食った」という感動によるものなのではないか。
少なくともSガストのハンバーグだってそれなりに旨かったし、さわやかのために静岡へ行く前にいちど、近所のステーキハウスでまともなハンバーグを食べてみるのもよいかもしれない。
いやもちろんchocoxinaだってさわやか食べてみたいですけど。
静岡遠いじゃないですか。
【落ちのない話】戦略的フレンドリーさ
午前零時すぎ、毎晩飲んでいるヤクルトを切らしているのに気が付いて、雨のなか近所のドン・キホーテまで歩いた。
最少の歩数で10本パックのヤクルトを手に取ってレジに向かうと、レジ係のいつもの女性がなにやら無線でバックヤードと話し込んでいた。
他のレジをあたろうかと思い、周りを見渡したのだが、この時間ともなると他のどのレジも開いておらず、chocoxinaはしばらく待たされる恰好になった。
およそ20秒ほど、ほかを探すともなく待つともなくレジの1メートル手前でまごついていると、ようやく通信を終えた彼女がレジに通してくれた。
ヤクルトの入ったレジ袋とお釣りを順番に俺に寄越して、彼女は最後に「雨が強くなってるみたいだから、気を付けてね」と言った。
それを聞いたchocoxinaは内心驚愕した。
なんてスムースなリカバーなのかと。
chocoxinaはこのドンキに毎日のように通っているし、レジの女性にも毎日のように会っている。このような声をかけられた経験が今まで全くなかったわけではないが、都合5年近く通い続けてそのようなことがあったのは片手で数えられる程度だ。
彼女はおそらく、客を待たせたことによるマイナスの印象をフレンドリーな接客でリカバーしようとしたのだ。ヤクルトのバーコードを読み込んでから什器がお釣りを吐き出すまでの間に、そうすべきだと判断したのだ。
ここまで戦略的にフレンドリーさを出すことのできる人がいるのか、と少し空恐ろしいものを感じながらも、chocoxinaはおおむね彼女の思惑通り機嫌よく家路についた。 どれだけ戦略的であろうが、フレンドリーにされることは気分のよいものである。
・・・とここまで書いて、そういえば過去「戦略的にフレンドリーな接客」を受けて必ずしもいい気分ではなくなったケースがあったことを思い出した。
去年の今頃、大流行していたPokemon GOのために周辺機器を買いにポケモンセンター(ポケモングッズ専門店)に行ったときのこと。
お目当てのPokemon GO Plusを手に取りながら店内をうろついていると、当時のポケモン最新作に関連するグッズが目についた。
最新作(サンムーン)の中で一番かわいいと思っている女の子(スイレンちゃん)のピンバッジで、それもキャラクターのイラストそのものではなく、彼女を象徴するアイコン(キャプテンのあかし)を模したものだった。例えばバッグにつけても(つけませんけど)、普通の人にはゲームの美少女に関するものだとはわからないたぐいのものだ。
chocoxinaはほぼ反射的にそのピンバッジを手に取ってレジに向かった。
レジには行列ができていて、そこに並んでいる間、レジの店員さんたちがお客――ポケモン好きの親子連れや女性だ――と常に一言二言ポケモンに関する会話をするのを見ることができた。
行列はことのほかさくさくと進んでchocoxinaの番になり、chocoxinaより少し若いくらいの女性店員のレジに呼ばれた。
彼女はPokemon Go Plusとピンバッジを順番にレジに通し、合計金額を伝えた後、chocoxinaに向かって
「スイレンちゃん、お好きなんですか?」
と聞いた。
お前、お前それ、そのピンバッジ、そういうのバレたくない人が買うタイプのやつじゃん。
スイレンちゃんがでかでかと描かれたグッズはたくさんあるなかで、あえて地味なピンバッジ買ってる客じゃん。
客とは必ず世間話しろってマニュアルに書いてあるのかもしれないけど、人の萌え豚的側面に言及しない優しさってあるじゃん。やめてよ。
――という気分になって大変恥ずかしかったというだけの話です。本日は以上となります。