この夏インドア派こそ始めるべき「ディスクゴルフ」7つの魅力
ディスクゴルフ、というスポーツがある。 その名の通り、ディスク、いわゆるフリスビーを 専用のコースで飛ばして、 バスケットに入れるまでの打数を競うスポーツだ。
――楽しそうじゃん?
むろん、ディスクゴルフは実際に楽しい。
コースをたかだか3つほど回っただけの筆者が、こうして紹介記事を書こうという位だから、その点は間違いない。
正直なところ、ディスクゴルフの魅力についての説明なんて「フリスビーぶん投げたら楽しかろうもん」で十分だろ、と思ってさえいる。
とはいえ、読者の諸兄諸姉は「知らん奴が紹介してる知らんスポーツ」をすぐに始めようという気にはなかなかなれないだろうから、どうにかもう少し言葉を紡いでディスクゴルフの魅力を紹介しよう、というのが本記事の趣旨である。
案外そこいらでできる
うすうす御察しであろうとおり、ディスクゴルフを行うためには、原則専用のバスケットが設置されたコースへ赴く必要がある。
ついさっきまで名前も知らなかったスポーツの専用コースなんてものが、一体この世にどの位あるのか不安に思われるかも知れないが…
日本ディスクゴルフ協会(そういうものがあるのだ)のサイトによれば、なんと全国に50以上存在する。
筆者の住む東京都では、昭和記念公園、辰巳の森海浜公園、上柚木公園の3か所だ。
その他の地方の事情については協会のサイトに譲るが、「名前も聞いたことのないスポーツにしては、意外とやれるとこあるな」と感じて頂けたのではないだろうか。
金がそんなにかからない
ディスクゴルフでは、そこいらの「いわゆるフリスビー」よりもいくらか小さく薄く、さらに重量のあるディスクが使われる。
実家で犬に喰わせているフリスビーが使えないのは欠点といえば欠点だが、たいていのディスクゴルフコースでは、初心者用の専用ディスクをレンタルすることが可能だ。
筆者の知る限り、丸1日遊んで500円とかそこらで借りられるような所がほとんどなので、あとは家から動きやすい服装で出てくればただちにディスクゴルフを始めることができる。
「クラブとボールを使うほうのゴルフ」と比べれば、その初期費用の差は一目瞭然。
少し道具に凝り初めて自分用のディスクを買うようになったとしてもせいぜい1枚2,000円ほどで、10連ガチャを2回引く金でディスクを3枚買うことができる。
さらにガチャはワンタップでたかだか10回しか回らないが、フリスビーを勢いよく投げれば100回転はするので断然お得だ。
Disc Sports お得なディスクゴルフはじめてセット(ネイビー)
- 出版社/メーカー: INNOVA
- メディア: その他
- この商品を含むブログを見る
ただし、次に紹介する理由で余計な出費がかさむ可能性は十分にあるので、そこだけ注意してほしい。
道具に凝れる
ディスクゴルフ用のディスクは、普通のゴルフにおけるクラブとボールの役割を兼ねており、「ドライバー」「ミッドレンジ(アイアンに近い)」「パター」などといった種別がある。
ティーショットではドライバーを投げ、着地点から別のディスクに持ち替えてまた投げる…というのを繰り返してホールを回るわけだ。
さらに、同じ役割のディスクでも性能はそれぞれ微妙に異なり
- コースの形態に合わせて、左、あるいは右に曲がりやすいディスク
- プロが投げれば100mを優に超える飛距離が出るが、生半可なものが投げると狙った方に飛ばすことさえままならないディスク
- 全力で投げてもあまり飛ばない代わりに「転がして飛距離を稼ぐ」ことができるディスク
- 磁性体が含まれており、バスケットに吸い寄せられる(?)ディスク
などといったものが数百種存在する。
もしあなたが20代から30代前半で、小学生時代に「パワータイプ」「連射タイプ」「変化球タイプ」のビーダマンをたずさえて友達の家に行ったことがあるなら、ディスクゴルフでコースや状況に応じてディスクを選んだり、似たようなディスクを投げ比べたりする愉しみを想像して頂けるだろう。
また最近製造されたディスクには、こういった感じでスタッツが書かれている(記法はブランドによる)。
それぞれの数字はいちおう飛距離や飛行経路に関するデータなのだが、ディスクを投げたことがなければまるでピンと来ないだろうから、ひとまず「『ジョジョの奇妙な冒険』におけるスタンドパラメーター」のようなものだと思ってくれて構わない。
かつて「広義の男児」だった者なら、こういった数字を見るだけでもワクワクするはずだ。
現に筆者は、この数字やプラスチックの材質による細かな違いを試してみたいあまり、すでに役割の被るディスクを2枚買っている。
スポーツとしては相当ラク
ディスクゴルフは紛れもなくスポーツであるが、必要な運動能力は相当に少ない。
1kmかそこらを2時間かけて休み休み歩くだけの脚力と、150g強の円盤を前に放り投げられるだけの腕力があれば、なんの問題もなく18ホールを回り切ることができる。
あなたが普段、仕事でもプライベートでも手首から先しか動かさない、インドア趣味のデスクワーカーだったとしても、大きな苦労はなく楽しめるはずだ。
さらにディスクを飛ばすときは自然と腰をひねり、腕を振り回す動きをすることになるため、デスクワーカーの肩・腰のコリを解消するポテンシャルも秘めている。
ただし、準備運動を怠ると、固まった筋肉をかばって普段使わない部位を負傷することがあるので、その点だけは十分に気を付けて欲しい。
筆者は、仕事終わりに夜の公園でドライバーの練習を試みたところ1投目で上腕をぎっくりといわせ、サロンパスの小袋を一つ使い切るほどの損傷を受けたことがある。
ゴルフ用語がなんとなくわかるようになる
■15番パースリー、少しアゲンストが出て参りました(穏やかな声で)
ディスクゴルフは、その名の通りゴルフを基にした競技であるため、かなりの場面でゴルフ用語がそのまま流用されている。
第一投のための基準点は、もはやどこにもT字の道具など使わないにも関わらず「ティー」と呼ばれているし、ティーショットをしてからバスケットに入れるまでの一連の流れを「ホール」と呼ぶのも、考えてみればおかしな話だ。
そういう具合なので、ディスクゴルフをしていると、幼年期にオトナの隣で見ていたゴルフ番組に由来する知識が、自然と口をついて出てくるようになる。
『ティーショット』で『フェアウェイ』を外したディスクを、どうにか3投目の『ロングパッド』でバスケットに沈めたとき、「これが『パーセーブ』か」とニュアンスを含めて腹落ちするようになるのだ。
また、これは魅力というよりも一種の「リスク」というべきものなのだが、ディスクゴルフをある程度するようになると、自分のスタンス(姿勢)やグリップ(握り)を一定に保つため、日常のふとしたときに「素振り」をする誘惑に襲われる。
そんな自分の姿が「おじさんが駅のホームで傘振ってるやつ」に重なると気づいたとき、あなたは相当の気恥ずかしさと共に、世界が少し広がる感覚を得られるはずだ。
独りでできる
あなたがディスクゴルフを始めるに際して「人を集める」という障壁がないのは特筆すべき長所だろう。
なにせ他のスポーツにおいては、例えばフットサルなら10人、3on3なら6人、テニスでさえ2人いなければゲームが成立しないなか、ディスクゴルフは独りでも何ら体験を損なうことなくゲームを完了できるのだ。
むろん、複数人でコースを回れば、スコアを競ったり、暴投を笑いあったりでより場が盛り上がるだろうが…
最終的に誰か人を誘うにしても、まず独りで予習できることは大きなアドバンテージになるだろう。
■こちらはディスクゴルフ歴10年以上という友人。無職時代は毎日スーツで公園に来ては、独りでフリスビーを投げていたという。
外で身体を動かすと愉快
改めて思い返して欲しいのだが、あなたはここ数年、 丘に登ったり、 呆れるほど高い空に向けてなにかを飛ばしたり、 ガチャンと音がたつほど勢いよく、物をなにかに投げつけたりしたことがあっただろうか? (格好よくキメるべき記事の結びで恐縮ですが、2枚目の画像はちょうどいいものがなかったのでフリー素材です)
かつて体育教師を忌み嫌い、水泳をサボり、教室で大声を出すサッカー部員を疎ましく見ていた我々も、やはり天気のいい日に体を動かすと気分がいいものだ。
そういった感覚を10年、20年ぶりに思い出すためにも、ぜひ一度、ディスクゴルフをしに出かけてみてほしい。
自分の手から離れたディスクが威勢よく風切り音を立てながら、前へ前へと飛んでいくのを見るだけでも、後悔はしないはずだ。
■あなたが東京在住でマイディスクが必要になったなら、日暮里のD.D.Jamさんに行くとよい。ディスクに精通した店主と、人間の扱いに精通した犬がいる。
新しい散歩のたのしみ「ノンポリウォール」について
住宅地を歩いていると
こういった感じで、何らかの政党のポスターが貼ってある壁を目にする。
あまりにも見慣れた光景である上、政治・宗教・野球への深入りを本能レベルで避けている我々は、つい真面目に見ることもなく通り過ぎてしまうのだが、時々ちょっと気になるタイプの壁がある。
同じ家屋に、こうして複数の政党のビラが貼られている場合があるのだ。
これ、大丈夫なんだろうか。
あいにくchocoxinaは政治に明るくない(ポジショントーク)のだが、政権与党と野党をいっしょくたに支持している人というのが、まあそんなにはいないだろうなということ位はわかる。
いったいどういう経緯でこのような状態に…と思って調べてみたところ、どうやらこのような壁の持ち主はたいてい特定の政党を積極的に支持してはおらず、ご近所からのビラ貼り依頼を何でもハイハイと受けている、というのが実態らしい。
塀のポスターは、家主のおおらかさの象徴だといえよう。
そして政党のポスターというのは概して、支持政党により多くの支持を集めるために、つまり卑近な目標としては選挙戦のために貼られるものであろうから――
あの壁には「おおらかな家主の良心のもと、各政党がバチバチに戦っている」という、ちょっとヒヤヒヤするような物語があるわけだ。
そこで今回、かようにスリリングな魅力を持つこれらの壁を「ノンポリウォール」と名付け、あくまでおおらかな目線で楽しむ方法を皆様にご提案したい。
「グレートノンポリウォール」の探求
ノンポリウォール鑑賞における定番の楽しみ方として、よりノンポリ的なる壁、すなわちより多くの政党のポスターが貼られた「グレートノンポリウォール」を探す、というのがある。
基本的には、各党の関係を問わず、4政党以上のポスターが貼られていれば「グレートノンポリウォール」と呼んで差し障りない。
■これなんか相当グレートである
よりおおらかでより戦火の激しい、よりアンビバレントな壁は、見る物によりスリリングな興奮をもたらしてくれる。
グレートノンポリウォールの探求は「もっと味の濃い家系ラーメン」を探して食べ歩くような、初心者にもとっつきやすい楽しみ方といえるだろう。
また、大きなノンポリウォールでは、全く同じ図案のポスターがいくつも貼られる「リフレイン」が発生するのも見逃せない。
ノンポリウォールの要件を満たしつつもより「リフ」の多い壁を探してみる、というのも一興だ。
「きのたけウォール」の蒐集
ところで、各党の党員さん(貼り手)がビラを貼って回るときというのは、「すでに他党のポスターが貼ってあるところ」に積極的に声をかけるらしい。
やはり許可が貰える可能性が高い上に、「アピール力」で他党と差を付けられたくない事情を考えれば、さもありなん、というところだ。
さて、ノンポリウォールを探し歩いていると、ほどなく「ある特定政党同士の組み合わせ」をたたえた壁が非常に多いことに気付くだろう。
むしろ、単一政党のポスターだけが貼られた壁(ポリウォール)よりも数が多いのではないか、と思うほどの量だ。
この2政党のポスターのみが貼られた壁を、国民的チョコレート菓子「きのこの山・たけのこの里」になぞらえて「きのたけウォール」と呼ぶ。
ある日、片方の党員が壁の持ち主(フィールドオーナー)に掲載許可を取り付けると、ただちにもう他党の貼り手がやってくる…という光景が想像され、ミニマムながらもかなりの見ごたえを感じられるはずだ。
「グレートノンポリウォール」のような主流としての人気はないものの十分に味わい深く、さながら蕎麦屋のカレーを食べ歩くようにしみじみと鑑賞できるのが「きのたけウォール」の魅力である。
■これは「きのたけ」の取り合わせではなくただ小規模なだけのノンポリウォールだが、かえってレアでもあるため通に好まれる
「おかずウォール」の発見
ノンポリウォールは、ポスターを貼りたい事情のある貼り手の依頼に応じて発生・拡大するものなので、理論上は「政党のポスターでないもの」も貼られることがありうる。
そういった非主流の掲示物が貼られた壁、すなわち「おかずウォール」を探し出す、というのも悪くない愉しみだ。
■右下の探偵のポスターが「おかず」にあたる
基本的に、商店街やスーパーの近くなど、経済活動のある所では広告に近いおかずが貼られ、住宅街では選挙ポスターに近い、別種の政治的活動のためのおかずが掲示されていることが多い。
この壁は「区営施設のイベント案内」という非常に公共性の高いおかずが貼られて掲示板化しており、なかなかのレアケースといえる。
おかずのバリエーションは土地によっても異なるため、各地を歩けばさながら「製麺所に注目しながらラーメンを食べ歩く」ような、ちょっと理系チックな楽しみ方もできるだろう。
ノンポリウォール鑑賞にあたっての諸注意
さて、当記事はノンポリウォール初心者のため、その愉しみを紹介することを目的とした記事であるが、しかしどうしても、読者の楽しみをそぐ可能性のある「注意喚起」をしておかねばならない。
ノンポリウォールは、フィールドオーナーこと壁の権利者の、多大なる厚意によって成り立つものである。
ひとたびそのことを忘れれば、
この通り、貴重なノンポリウォールが消失する可能性が常にあるのだ。
この壁がなくなった理由が、鑑賞者にあるのか、それとも「貼り手」にあるのかは定かではないが、ともかく我々としても気を引き締め、万一にもフィールドオーナーの迷惑にならぬよう鑑賞したい。
さいごに
以上が、chocoxinaの提案する「ノンポリウォール」鑑賞の大まかな手引きである。
筆者としては、これを機会にみんな国政に関心を、などと言うつもりは一切ないのだが… それでも例えば「この土地ではこの政党が強いのか」というような、ちょっと「大人」な目線でノンポリウォールを見る楽しみ方も悪くないだろう。
逆に、そういった部分への深入りを一切放棄しながらでも、一度まじまじと選挙ポスターを眺めてみると「どの政党も、やたら似たような六角形のシールでポスター貼ってるな」など様々な発見ができるはずだ。
とはいえちょっと今回は内容がポリティカルに寄っていたので、ここで「最近流行りのやつ」を掲載してバランスを取りつつ、この記事を終わらせていただきます。
■おいしかったです
平成の終わりに、らあめん花月嵐と向き合う
らあめん花月嵐をご存知だろうか。
平静初期、高円寺に1号店をオープンして大ブームを巻き起こし、とんこつ醤油とにんにく・背脂というスタイルのラーメンを東京に定着させたラーメンチェーンである。
今もなお日本全国に展開しているので、食べたことがあるという人も多いことだろう。
さて、ここで一つ読者に聞きたいのだが、みなさんはらあめん花月嵐がお好きだろうか?
――回答を待たずにあえて断言しよう。
このブログを見に来るような読者のうちのほとんどは、らあめん花月嵐に対して、なにか折り合いのつかない気持ち、ソリが合わない気持ち、好きだと言うのがはばかられるような気持ちを抱いているはずだ。
これがらあめん花月嵐だ
そもそもらあめん花月嵐に行ったことがない、という読者諸兄は、まずこちらの公式サイトを訪問し、2分ほど巡回していただきたい。
――いかがだっただろうか。
■「大人気」と自称してはばからないメニュー
■あまりにも先まで計画された期間限定ラーメンのスケジュール
ちょっと、なかなかほかに類を見ない感じのラーメン店だな、ということはおわかりいただけたのではないか。
総じて、このらあめん花月嵐という店は、眩しいばかりの自信に満ちている。
自社の限定商品とその広告塔タレントについて「数々の伝説を巻き起こした最強タッグ」と形容するラーメン店は、世界広しといえどもらあめん花月嵐くらいのものだろう。
筆者は、このらあめん花月嵐からあふれ出る自信を、近頃大変うらやましく感じるようになった。
これは、何等の皮肉や嫌味を企図したものではない。
らあめん花月嵐と同じ時期に生まれた筆者は、元号の変わる令和元年に齢30となる。
筆者が、キャリアパス、人生設計、貯金、スキル、そういったものもののことを考えながらうつむいている間にも、らあめん花月嵐は新作ラーメンを発表し、さまざまな芸能人とコラボし、熱狂的な花月嵐ファンの存在を信じて疑わず、時に筆者のようなひねくれ者から向けられる冷笑を気にも留めず、30年近くもあのやり方で事業を継続してきたのだ。
3年以内に9割つぶれるとも言われる飲食業界で、これほど長きにわたりラーメンを売り続けるのは並大抵のことではない(環七の名店こと「なんでんかんでん」でさえ一度潰れている)。
あの過剰とも思える自信と自尊とで修飾された宣伝文句も、かような実態を伴ったものと考えれば、途端に頼もしく見えてくるというものだ。
■そうはいってもさすがに気圧されるほどのアピールではあるが
筆者は、らあめん花月嵐のことをもっと知りたいと思ったし、そのためにはらあめん花月嵐の実店舗で「嵐げんこつらあめん」を食うほかないと考えた。
土地勘のない場所で適当に夕食をとるためや、飲み会の帰りに適当に腹を満たすためではなく、純粋にラーメンを味わうためにらあめん花月嵐に行くのだ。
嵐げんこつらあめんを食う
調べてみると、筆者の行動圏内だけでらあめん花月嵐は4店舗もあった。
■今回来たのは中野坂上店
普段、いかにこの店のことを気に留めていなかったのか、反省を禁じ得ない。
■食券機の様子。今回は確認できなかったが、時期によっては「裏メニュー」と称する料理群が堂々と並んでいることもあった。
■語感を重視しすぎて、蝶野正洋氏が一回もラーメン食べたことないみたいになってるポスター
■水さえこの調子で推されるのがらあめん花月嵐という店だ
内装の一つひとつが、今俺はらあめん花月嵐にいるのだぞ、と感じさせてくれる。
いつからだったか、座席にはメニューと一緒に「はい!私が店長です」という一種の読み物が置かれるようになった。
店長の人となりやおすすめのメニューが書かれたペライチの紙で、曰く「待ち時間がちょっと楽しくなる情報誌」とのことだ。 「ちょっと」という謙虚さは一見らあめん花月嵐に似つかわしくないようにも感じるが、
中身を見ると「ああ、花月の読み物だな」ということが十全に感じられる。
また特筆すべきこととして、らあめん花月嵐はおおむねどの店舗も掃除が行き届いており非常に清潔である。
思い返せば、らあめん花月嵐に来て、店のせいで多少なりとも嫌な気分になったことというのは、実は一度もなかったのではないか。
(各種の情報にあてられて勝手にスカした気持ちになったことは、まあ正直何度かあったが)
そうこうしている間にラーメンが届いた。
嵐げんこつらあめん味噌(定番の醤油味と間違えて頼んだのだが、大した問題ではない)に、餃子とチャーシューごはんのセットだ。 今日はらあめん花月嵐をとことん味わい尽くしてやろうという日であるから、炭水化物を被らせることに何の躊躇もない。
腕まくりののち、さあ、と一口食べてみて驚いた。
なんというか、ちゃんと旨いのだ。
もちろん、花月のラーメンは工場で大量生産されるものであろうから「今朝砕いた豚骨を、さっきまで煮込んでました」というような情報量の多さはない。
ただ、とんこつ、背脂、にんにく、味噌、コショウの鋭い味が「こういうもの」を求めている脳にビシビシと刺さってくるのを感じる。
ここでしか食えない味、積極的に食べにくる理由のある味だ。
卓上に備え付けの壺ニラもやし(画像左下。ニラともやしに辛味をつけたもので、例のごとく各所で猛烈にプッシュされている)をスープに浮かせ、細麺でからめとるようにしてむさぼり食う。
店内放送が「ラーメン、エンタメ、サプライズ!」の決め台詞とともに次回作ラーメンの告知をする声も、不思議と気分を高揚させてくれる。
結構な量を頼んだはずだが気づけば完食。スープまで飲み干している自分に気づいて、少し苦笑いをした。
らあめん花月嵐を認め、らあめん花月嵐のようになろう
率直に言えば、筆者はこれまでらあめん花月嵐に対してかなり斜に構えていた。
筆者が普段相当にひねくれている、ということを差し引いても、あの店には、なかなか真正面から受けとめにくい「勢い」がある。
しかし、元号が平成から令和にかわるこの時期、筆者もまたあの店を見習って変わっていかねばならないと思った。
まずは今後、折にふれて「らあめん花月嵐、結構いいよね」と、はばからず口にしていこうと思うのだ。
そしてゆくゆくは、花月の大人気コンテンツのように、自分に絶対の自信を持ち、忌憚なく公表できる度胸を身に着けたい。
……いや、あそこまでじゃなくてもいいかな。
■自動ドアの店内側に貼られていたもの。意外とこういう細やかなところがあるのだ